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エピソード27:いのさんく

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   「いのさんく」ーー何かの呪文ではない。家から歩いて20歩の所にあった、駄菓子屋の呼び名である。「~く」というのは、土佐弁で「~さんのところ」といったような意味だ。だから「いのさんく」は、「いのさんの所(家)」となる。本当は「猪野商店」みたいな名前がついてたと思うけれど、老若男女問わずみんな「いのさんく」と呼んでいた。  店主は「いののおばちゃん」と呼ばれていた。彼女が猪野さんだろうけど、誰も名前で呼んだりしなかった。おばちゃんはいつも、所狭しと商品が並んだ薄暗い店の奥にいた。物静かで余計なおしゃべりをしているのは見たことがない。お金を払う時は、全て暗算で計算していた。消費税も無い時代だったから、計算自体は案外簡単だったのかもしれない。  店の外には自動販売機があり、そこで買って飲んだ粒入りのみかんジュースは、酔いしれるように美味しかった。ガタガタときしむ木製の引き戸をスライドさせて店内に入れば、左側にアイスクリームのケースがある。右手には賞味期限などまるで関係ないような缶詰め類が置いてあった。ちょっとした雑貨類、洗剤やホウキなどが並べられた通路の突き当たりに、駄菓子は置いてあった。いつもどこで仕入れてくるのか、結構流行りの駄菓子なんかも揃えていた。上からはくじ引きや紙もののおもちゃが吊り下がっており、子どもが4、5人入ると店は満杯になった。  毎日のように通い詰めたいのさんくだが、おばちゃんが歳を取って計算間違いをするようになった頃から、足が遠のくようになった。後におばちゃんが、とさでんの電車と接触事故を起こしたことを新聞で知る。大人になり同じ駄菓子を食べてみた。奇妙な背徳感に包まれていたあの頃の味わいを思い出すことは、もう出来なかった。

エピソード26:民間療法

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  あれは私が土佐清水に住んでいた時のことだから、保育園年長組の頃か。当時は姉弟揃ってひどい鼻炎に悩まされていた。いつも鼻をグシュグシュさせている私たちを見かねた母。どこで聞いたのか、「蓄のう症にはドクダミが良い」という民間療法を仕入れてきた。早速実験台に上る私たち。煎じて飲むのかと思いきや、なんと大胆にも庭でちぎってきたドクダミの葉っぱを丸め、直接鼻の穴に差し込まれるという羽目に!自信満々の母と、両鼻にドクダミを詰めた暗い顔の姉弟の図は、かなりシュールである。子どものことだから、親に文句は言えぬ。そのままの姿で渋々遊びに出かけたものの、周囲からの奇異な視線を振り払うのに必死だった。とは言っても、これはそこそこ毒出しくらいにはなったと思う。  またある時のこと。九州へ旅行に行った時、私がひどい乗り物酔いをした。ここでも自信満々の母がこう断言した。「ヘソに梅干しを貼れば治る」。一体どこからの情報なんだか。こうして私は、大事な昼食のおにぎりから取り出された梅干しをヘソに貼られるという、なんとも情けない姿にさせられたのだった。当然ながら、こんなことをして乗り物酔いが治るわけがない。ヘソが痛くなるだけで終わった。母よ、私ゃ今だに根に持ってるぞ。  そんな母だが、子どもの頃にどういうおまじないだったのか、すり鉢を頭に被せられたことがあるらしい。明治生まれの曽祖母の言だったとか。それにしても怪しげな民間療法やらまじないを信じ込んでしまうのは、我が家の統なのか ⁉︎ すり鉢を被ったおかげかどうか、今でも母の頭はお花畑のままである。

エピソード25:婚活

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  人生の折り返し地点を過ぎて今だに独身のこのワタシ。はい、もれなく貰い手がいませんでした(高笑い後大泣き)。そんな自分でも、30歳くらいまでは少なからず紹介話があったもんで。…ま、結果はお察しの通り。お付き合いが続いてたら、今頃は何回バツやらマルやらがついてたことか。ある時は、ひとまわり年上の人を紹介された上に、当日相手がドタキャンするというアクシデントに見舞われた。寒空の中1時間待った哀れな私はどうすれば ⁉︎ またある時は、なんと親より年上の還暦を過ぎたおじさんを紹介され、自分の市場価値はこんなもんかとたいて憤慨した。まっこと人様からの紹介は当たりが無い(怒)。  1番印象的だったのは、まあいろいろ伏せておくが、某企画で「おきゃく電車で恋しよ♡」みたいなイベントに参加した時のことだった。高知では、宴会のことを「おきゃく」という。以前書いたとさでんの中に、おきゃく電車と呼ばれる車両があるのだが、電車の中で飲む・食う・歌うができる画期的な(トンデモな?)シロモノで、年末などにたま~に見かけることがある。  その電車を貸し切り、男女が交互に座って自己紹介カードを交換したり、ミニゲームをしたりするのだけれど。司会の方のやたら明るい声と、合コンの頭数合わせに来たような気まずい雰囲気の参加者とのギャップが激しくて、乗った瞬間降りたくなった。ただアルコールが入ってしまうと、そこは陽気な高知県民。それなりに楽しく(?)やり過ごし、なんと私がカップル成立の当事者(!)という結果になって解散したのだった。その後の展開?…展開すらしないまま(以下略)。結論、出会いのある人はどこでもあるし、無い人は何をやっても無い。うん、キッパリ。

エピソード24:アイスクリン

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  ひんやり冷たくシャリっとした食感、さっぱりとした風味のアイスクリン!いろんな味があるけれど、やっぱり定番のバニラが一番かな♪……ん?バニラ ⁉︎ ご存知の方も多いかと思いますが、あの風味はバニラではなくバナナ香料で付けているというのは、いつぞやテレビで見た情報。知るまではずっとバニラだと思い込んでた私。いずれにせよ、美味しく食べられることに変わりはないんですがね。  このアイスクリンみたいな露天アイス屋(というのか?)。高知県だけのものではない。有名なのは長崎の「チリンチリンアイス」。意外なところでは秋田の「ババヘラ」。ババヘラなんて不思議な名前の由来は、婆さんがヘラでアイスを盛るかららしい。若い女性だとアネヘラになるとか。ジジヘラやアニヘラがいるのかは不明(当社調べ)。ちなみに高知のアイスクリンは半月状のディッシャーですくうが、ババヘラはヘラですくうため「バラ盛り」という飾り盛りができるのだ!上手な人は息をのむほど綺麗なバラを形作る。映えますね~。  アイスクリンといえば、昔はコーンにかぶせるフタがあったと思いませんか?今でもあるんだろうか。フタ付きのアイスクリンは特別感が増して、より美味しく感じられたものだ。あとは子どもの頃の疑問で、なぜ大人は最後にコーンの端っこを捨てるんだろうと思っていた。あそこがカリカリとして1番美味しいのにもったいないと、子ども心には謎だった。  今思えば歩きながら堂々とアイスクリンを食べられるのは、子どもの特権だったような。大人になってしまったら、食べ歩きなんて気恥ずかしくて出来ない。ほのかに甘いアイスと記憶が、夏空の下で溶けて行く。

エピソード23:私高公低

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  「私高公低」という言葉を聞いたことがある人、いるんじゃないですか?高知県は都市部と同じように、私立校の方が公立校より偏差値が高い。だから中学受験が盛んだとか。もっとも、今は若干状況が違うようですが。  つまらない受験の話はともかく。真面目を装って遊び呆けていた私は、学校なんて大キライだった。毎日遅刻寸前で教室に駆け込み、下校のチャイムと同時に教室を飛び出していた。今でも覚えているぞ、始業のメロディが「おお牧場はみどり」だったことを。それをいつも通学路で聞いていた(完全に遅刻)。授業中は格好の工作タイム♪割と手先が器用だったから、ミニチュアの人形やら豆本などをせっせと作っていた。ある時は工作用紙でティッシュボックスを作るのにハマり(意味不明)、うまくティッシュを引き上げるにはどうしたらいいか、なんて国語の時間中ずっと考えていた。おかげでティッシュボックスは会心の出来を見せ、避難訓練の時も持って逃げたくらい大切にしていた(真面目にやりなさい)。  まあしかし、受験の波はのんきな私にも降りかかってくるワケで。昔は「荒れた学校」が社会問題になってたから、怖がりの私は『不良ばかりの公立はイヤだ』という理由だけで中学受験をした(動機が不純)。ところで、弟も市内中心部の某私立校に入学したのだが。入学式の挨拶で『向かいの学校(当時荒れてた公立中学)の生徒とは目を合わせないように』なんていうお達しがあったそうな。まるで相手は寒霞渓(注:小豆島の観光地)のサルである。教育者にあるまじき発言!何が「私高公低」なんだか(呆)。

エピソード22:苗字

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  その土地ならではのものの中に、苗字がある。高知県に多い苗字は、山本さんとか山崎さんとかかな?県内でも独特な苗字の分布があったりして、小松さんや川谷さんといえば安芸の方にお住まいだろうか、とか、泥谷(ひじや)さんは土佐清水の出身かな、などと想像がつく。  さてさて私の苗字は、別に珍しいわけでもないけれど、高知にはあまり無い漢字三文字である。だからか、一発で正しく呼ばれたことがない。みな似たような所をかすってくるが、惜しいのばかり。例えば大久保さんなら、久保さんとか久保田さんなんて呼ばれた経験があるのでは?それと似たような感じだ。そういやなぜか宇都宮さんと呼ばれたこともある。お~い、漢字三文字しか合ってないぞ(呆)。  どうせ漢字三文字なら、西園寺とか北白川みたいな苗字が良かったような。しかしこのようなやんごとなき苗字だと、ファミレスなんかに入りにくいですね(そもそもやんごとなき人が安いチェーン店に入るか、というのはさておいて)。ところで順番待ちのあの名前書く紙。みな本名書いてるんだろうか?以前名前を呼ばれて立ち上がったら、よほど奇異に聞こえたのかそこにいたコドモに笑われた(怒)。コドモよ、人の名前を笑うたらいかんぞね。弟は会社で自分の苗字が言いにくいからと、電話の取り継ぎには偽名(!)を使っているらしい。誰も名前なんか聞いてないからいいんだとさ。ホンマかいな ⁉︎  まあでも所変わればで。大学進学で仙台に行ったら、私と同じ苗字の人が沢山いるではないか!どうやら私の苗字は、東北ではありふれているものらしかった。当然誰も呼び方を間違えなかったが、マイナーな苗字からメジャーな苗字へと変わるのは、妙にむずがゆいような変な気分がした。

エピソード21:ヤマモモ

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 「ヤマモモ」と聞いて思い浮かぶのは次のうちどちらか?①植物②詩集、な~んてね。高知県民以外の人は何のことやらと思うでしょうが。このヤマモモ、高知県の県花(県木ではない!)であり、古くから愛されている高知のこども詩集のタイトル(こちらは「やまもも」)としても使われている。ちなみに高知県の県木は「ヤナセスギ」、県鳥は「ヤイロチョウ(このエッセイのタイトル♪)」。全て頭に「ヤ」がついてるから覚えやすいのだ(バスガイドさんに教わった)。ついでに言えば、ヤマモモを県木としているのはお隣の徳島県だそうです。うん、ひとつ賢くなった。  ただこのヤマモモ、味はというと、なんだか「…?」になってしまう。はっきりとした風味を思い出すほど常食するような果物(なのか?)でもないような。そもそもスーパーとかに並んでいるのをあまり見かけない。街路樹で道路の上に実がボタボタ落ちてるイメージ(汗)。あの上を踏みたくない感覚、アナタなら分かりますよね ⁉︎  有名なブランドには「亀蔵」とかがあるらしい。一体いくら万円するんだろ ⁉︎ ヤマモモはやはりタダで採って食べるorおすそ分けしてもらうものだ。…まぁそこらに生えてる街路樹のヤマモモは、鳥もクチバシをつけないほど「酸い」のがオチなんだけども(街路樹を食うな)。  こんな素朴な味わいの分かる人も、段々少なくなって行くのだろうか。甘さや濃さをやたらに強調した果物が増えているけれど、私たちは贅沢になり過ぎてると思う。野山が育んだ自然の旨みにあふれるヤマモモが、なんだか恋しい。

エピソード20:お街

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  高知の人は、中心部を「お街」と呼ぶ。今でこそ閑散としたアーケードにシャッターの降りた店舗が目立つが、かつてのお街は賑わっていた。「西武」に「大丸」といったデパートや、「ダイエーショッパーズ」。ロッテリアもドムドムバーガーもあった。ファッションビル(昭和感満載)だったリブロードの前にはDUKEというレコード屋(!)があり、シャレオツな感じがした。映画館も「ポポロ東宝」に「東映」。…イカガワシイ「小劇」「第二劇場」なんてのもあったような(汗)。  昭和30年代のお街へタイムスリップしてみよう。山から出てきた子どもの頃の父や母。家族皆よそ行きを着ている。ガタガタの舗装されていない荒地をバスで揺られて、ようやくお街へ。大丸の食堂でオムライスやお子さまランチ、ソフトクリームを食べるのがとても楽しみだ。母はお隣の「菊寿司」派。ちなみにその頃、大丸の袋を持つのはある種のステイタス。ブランド物のショッパーを持つ感覚か?お土産は決まって「都まん」。…なんか夢があるなぁ。  いつの頃からだろう、お街が衰退して久しい。でも私は思う、高知は変に都会の真似をしない方がいい。全国どこだって同じようなものが大量に手に入るこの時代。いっそのこと街中全部巨大なショッピングモールにするくらいの改革がないと、イ◯ンには勝てませんよ(←妄言なのでくれぐれも実行しないように)。  お街が寂しくなるにつれ、「帯屋町太郎」さんのような名物おじさん(?)も姿を消した。彼らのような、「なんとなく狭間を生きる人」達と共存できる場所が、理想の「お街」なんじゃなかろうか。

エピソード19:社内運動会

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   それこそバブル真っ只中の頃。父の勤める会社は、毎年盛大な社内運動会を開いていた。コドモの私も、なんだかよく分からないまま連れて行かれた。というか、ただ単にお菓子に釣られてほいほいとついて行っただけなんだが。  まず、高知市内の本社前に集合。そして貸切バスに乗り合わせて、四万十町窪川へ。高速道路が無い時代、窪川は地の果てのように遠かった。また昔のバスは、異様に乗り物酔いを催す。タバコの煙がもうもうとする車内、変な模様の座席カバー、意味不明なシャンデリア、既に酔っ払っているおんちゃん達のカラオケ大会…。途中必ずゲーゲーしたものだ(汗)。  誰がどのように手配したのか、場所は小学校(!)のグラウンド。小学校丸ごと貸し切るなんて、すごい時代だったと思う。華やかなファンファーレと共に競技が始まる。私は「アベック風船割り(完全に死語)」「輪回し」「飴食い競争」などに出場。しかしまぁ、父親と出たアベック風船割りは、風船がちっとも割れないし、輪回しは輪があさっての方向へ逃げて行く。飴食い競争に至っては、飴だと思ってねぶり回していたのが、知らないおじさんの指だった(そのおじさんが飴を口に入れてくれた)。  応援合戦は、各チームが最も力を入れているイベントだった。突如鳴り物と共に踊り込んで来た全身タイツの一団。カラフルなアフロヘアにこれまた派手な腰みのをつけて、おばちゃん達の前に並ぶやいなや、一斉に腰みのを捲り上げた。なんとそこには、男性の何某を模した作り物が!おばちゃん一同ワッと沸き立ち大喜び!…もう何がなにやらカオスである。  帰りのバスでは食べきれない程のお菓子を貰い、夢醒めやらぬまま家路に着いた。いつの間にか会社は吸収合併を繰り返し、社内運動会も思い出だけのものとなってしまった。

エピソード18:空港

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 高知県から遠方へ行こうとすると、やはり飛行機。空の玄関口は、我らが「高知龍馬空港(なんたるネーミングセンス)」。飛行機好きの私、離発着を見るのはワクワクしますね~。あのエンジン音を聞くと、何とも言えない高揚感が体中を駆け巡る。「おお~!カッチョイイ!」なんて、ひとり興奮したりして。ただし、飛行機を見るのは好きだけど乗るのは苦手です。  高知龍馬空港みたいな地方の小空港は、あっち行きとこっち行きしかないけれど(悲)。伊丹とか羽田なんかは一日中遊べるぞ。ひっきりなしに飛行機が飛び、賑わうターミナル。膨大な商品が並ぶ土産物店。学生時代はどうしても仙台→伊丹乗り継ぎ→高知だったので、伊丹での待ち時間が結構ある。おかげで、伊丹だけは自分の庭のごとく詳しくなっていた。  もっとも、大きな空港あるあるで、どうしても高知みたいな「田舎県」に対する待遇はよろしくないのがネック(?)。搭乗口がやたら端の端にある辺境の地!隣は必ず「秋田」「島根」みたいなのどかな県。段々人口密度が少なくなり、お土産の種類が乏しくなり、やっとのことで辿り着いた先からさらにバスに乗って飛行機へ、なんてことも。こうなるとまるで晒し者である(誰も見てないと思うけど)。  伊丹から高知へ帰ろうと空港内をウロウロしていた時の話。いかにも関西人的な、派手派手な兄ちゃんがキメキメで歩いている。『うわ~、さすが関西の人!』と内心思っていると、その兄ちゃんが電話をかけて一言。『もしもし?戻(も)んた!戻(も)んた!』。そしてその派手な兄ちゃんは、唖然とする私を追い越して、もれなく高知行きのゲートへと入って行った(°_°)。

エピソード17:トコロテン

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  「アーメンソーメン」の次に何が来るか?…そんなのどうでもいい人は、この章読み飛ばしてくださいね♪私の世代では「ミソラーメン」だったが、親に聞くと「何それ?『トコロテン』に決まっちゅうろう?」とあきれたように言う。こっちこそ「何じゃそりゃ?」だ。  そこでだ。某SNSでミニアンケートを取ってみた。すると「ミソラーメン」派が過半数、そのほか「ヒヤソーメン」派がチラホラ。高知県民は「トコロテン」派が圧倒的多数という結果になった。っていうか、なんて意味のないアンケート(滝汗)。  学術的に研究しようと思えば、「口承文芸に関する地域差及び年代別考察(←超適当)」みたいな論文でも書けるんだろうけど。あ、でも実際わらべ歌や手遊び歌の地域差を研究した本はあるらしい。  ところで高知県民。組分けをする時に「ぐっぱのそろいぞね」で決めますよね?私ゃ全国共通語だとばかり思っていたが(語尾の「ぞね」は完全スルー)、大学で県外に出て驚いた。さあ組分けをしようという段になった時。周りの皆が『うらおもて~』と言いながら、手のひらをクルクルし始めた!要するに、手のひらか手の甲かで組分けをするのだが。「ぐっぱの~」と言いかけ、慌てて飲み込んだ私。内心『何が起きた ⁉︎ 』である。ちなみに「うらおもて」は、宮城県民の組み分け方法。いやぁ、びっくりしたなぁもう。  トコロテンといえば。やはり土佐の鰹だしで食べるのが1番美味しいと思う。どうも酢醤油やら黒蜜( ⁉︎ )で食べるという文化には慣れないなぁ。そろそろトコロテンが恋しい季節になりますね。久礼のK知屋さんで、海を見ながら食べるのは最高ですよ!

エピソード16:ぐいみ

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  なかなか屋外で遊ぶことが難しくなった昨今。ただでさえ野外で遊ぶ子ども達を見かけなくなったというのに。だがまだ私が子どもの頃は、スマホもゲームも無く、よく野遊びをしていた。友達の中には必ず歩く図鑑のように詳しい子がいて、草花の名前も友達から聞き自然に覚えたものだ。  土佐清水市に一年だけ住んでいたことがある。保育園の砂場の脇に、「ぐいみ」の木があった。ぐいみの木など、見たことも聞いたこともない当時の私。『それ、食べれるがで』と教えてくれたのはやっぱり周りの友達だった。  季節になると、ぐいみは楕円形をした赤い実をつけた。見るからに美味しそうである。一粒ちぎり、口に入れた。「…… ⁉︎ 」とろけるような甘い味がするという予想を大幅に裏切り、口にしびれが来る不思議な味がした。とは言え、おやつに飢えていた私にとっては絶好のデザートだった。毎日毎日砂まみれの手で口に放り込み、種を吐き出してははしゃぎ回っていた。  高知市に帰って来てからは、ぐいみを見ることもなくなった。むしろ、そんなものを喜んで食べていた自分が恥ずかしいとまで思うようになっていた。  「♪しゃしゃぶのいとこはぐいみ~♪」という高知のわらべ歌がある。この歌の意味が分かるのは、私の世代で終わりなんじゃないだろうか。楽しかった土佐清水の保育園を数十年ぶりに訪れると、すでに閉園されていた。あのぐいみの味は、永遠に幻となってしまった。

エピソード15:バブル

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  昭和後期から平成初期にかけて、日本はバブル景気に沸いていた。嘘かまことか、一万円札をヒラヒラさせてタクシーを捕まえたとか、「ザギン」で「デルモ」と「シースー」三昧だったとか。私ゃコドモだったから、せいぜいジュリアナのお立ち台ごっこをしてたくらいだ(アホな小学生)。  東京ではバブルフィーバーだったかもしれないが、高知にはついぞバブルの波は訪れなかったと親から聞いた。何でも数年遅れるどころか、流行が素通りするのが高知の悲しいところである。  ところで。私の叔父は、追手筋にある某Sビルでバーを経営している。高知では知る人ぞ知る老舗のバーらしい。大物アーティストの誰それが来たとか、テレビで見る有名人がひいきにしているとか、小耳に挟んだことがある。  それとバブルと何の関係があるかというと。昔はよく酔っ払いが小銭を落としていた。しかも500円玉を!もれなく私たち姉弟のお小遣いになったのは、時効時効♪しかし。やがてその500円が100円や10円になり、ついにはビタ一文落ちなくなってしまった。そういや前は道端にもよく小銭が落ちていたが、今はさっぱり見かけませんね。嗚呼、こんな所で感じる不景気よ。  今、山道を走っていると、バブルの遺構らしき箱モノ跡に出くわすことがある。「国民休暇県高知」なんて書かれた古~い看板を見ると、なんとも言えない気持ちになる。そういや1億円かけて金のカツオを作った自治体もあったっけ。つくづく思う。お金は人心を惑わせると。

エピソード14:軽四

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  高知県は日本で1番軽四自動車の割合が多いとか。たしかに道を走る車を観察していると、半分は軽四のような気がする。そして田舎になればなるほど、軽トラが幅を利かせてくるのは皆さん周知の事実。それがまた四つ葉マークを複数枚貼った、とろけるような(!)お爺やお婆がヨロヨロと走るもんだから、後続のこちらは眠くなることこの上ない。  昔我が家にあった3ナンバーのRV車は見かけこそ良いものの、いよいよ走らなかった。燃費は悪いし故障は多い。ある時は坂道でブレーキが利かなくなり、またある時は高速上で黒煙を噴いた(モタモタする両親を置いて真っ先に逃げたのはこの私)。結局それが原因でオシャカになり、買い替えたのが軽四のキャンピングカー。軽の箱バンをキャンピングカー仕様に改造したものである。  初めてそれに乗った時は、プラスチックで出来てるのかと不安になったものだ。乗り心地は良くないし、なんだかペラペラ(?)だし。しかしこれが走る走る!狭い山道もなんのその。しかもちっとも壊れない!走行距離は15万kmになったぞ。  余談ですが。両親が例の軽四で神戸を旅行した時の話。六甲山で休憩しようと駐車場に入ると、ちょうど絶景のど真ん前が空いている。これはラッキー!と車を停めたが、何やら雰囲気が怪しい。辺りを見回すと、なんとウン千万円クラスのスポーツカーがズラ~リ…。どうやらオフ会だったようで、ちょうど空いていたその場所は、1番の重鎮が来るところだったらしい。もう景色も見ず、逃げるようにその場を去ったとさ。チャンチャン♪

エピソード13:とさでん

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  以前は「とでん」と呼ばれていた、高知市を中心に走る路面電車とさでん。ちなみに高知県では路面電車を「電車」、それ以外を「汽車」と呼ぶ。このとさでん、初めて乗る人にとっては驚きの連続だと思われる。  まずその車体。これがいよいよ古めかしい。最新式のも走ってはいるが、ほぼ昭和中期に製造されたレトロなものである。当たり(?)の電車に乗れば、真夏なのに冷房無し、振り落とされそうに跳ねる座席、足下が異様に熱くなる暖房など、想像以上の乗り心地を楽しめますよ(我慢大会か?)。  また、乗っている時も注意が必要だ。例えば窓の作りが独特なので、初見では絶対開けられない。洗濯バサミみたいなロックを両手に持って、エイヤっと上下に移動させるのだが、今時こんな窓があるのだろうか。  最後に降りる時。降車ボタンが旧式のものだと、固くて指一本では押せない。あれにはコツがあり、ボタン本体を挟むようにして押すのが正解(たぶん)。  そういえば昔は車内アナウンスがテープで、独特の抑揚がついた女性(社員さんかな?)の声だった。時々テープが間延びして、怪物みたいな声になったりとか。停留所とアナウンスの音声がズレてることもよくあった(おいおい)。  自転車で電車と競走したり、吊り革にぶら下がって怒られたり、お金が足りなくて見逃してもらったりするのは、高知の子どもの通過儀礼。いつまでも残って欲しい高知の路面電車、それがとさでん。

エピソード12:チャイリ

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高知県の方言というと「土佐弁」だ、とイメージするのはまだまだ高知県民序ノ口で(何のことやら)。西部には「幡多弁」という東京式アクセントの方言があり(ここで幕下)、さらに山間部は「垂井式アクセント」なる結構レアな方言使用者が存在している(知ってる人は横綱級)。  この垂井式アクセント。土佐弁みたいな京阪式でも、幡多弁みたいな東京式でもない。真似しようのない独特なアクセント使いで、会話を聞くとここは本当に高知県だろうか?と思うくらい新鮮味にあふれている。  さて。母は香美市物部町大栃(旧物部村大栃)に住んでいたことがある。もれなく垂井式アクセントの大栃(母曰く「大栃弁」)。これまたさらに地域方言のようなものが存在していたらしい。  その中のひとつが「チャイリ」。祖母が地区で料理の手伝いに行った時の話。「チャイリ」がどうのこうのと皆言っている。どうも調理器具のようだが、何を指すのかさっぱり見当がつかない。何かハイカラな外国のモノなのか?しかしこんな山に、そんな最新鋭の調理器具があるものなのだろうか。  首をかしげつつ、そのチャイリなるものの登場を待っていると、出てきたのはただのフライパン。そこで気が付いた。何のことはない、「チャイリ=茶煎り」だと。  今でも大栃ではチャイリを使っているのだろうか。人口 70 万人を切った高知県。垂井式アクセントの使用者も、失われつつある。