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12月, 2021の投稿を表示しています

エピソード52:メルシー券

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   2021 年も残すところあとわずか。つい先日お正月を迎えた様な気がするのに、月日の経つのは早いものだ(大げさ)。しばらく滞っていたこのエッセイも、 50 号を超えた。正直こんなに続くとは思わなんだ。締切に追われない自由な物書きというのは、気楽な身分ですね ♪  さて、今年最大のワタシ的ニュースといえば、なんと言ってもコレ。タイトルの「メルシー券」にピンときたアナタ、もうお分かりですね?そう、「内田文昌堂」の閉店。新聞の見出しを見た途端、おったまげた!あんな老舗が店じまいするなんて、高知のお街は大丈夫かね ⁉︎  メルシー券 … 薄緑色をした小さなポイント券である。お会計 100 円ごとにポイントが付くんだっけか?なんでも高知のポイントカードの元祖らしい。だいたい 5 点とか 10 点とかが多いんだけど、たまに 50 点の大物(?)なんかがあったりして。見つけた時は、レアカード発見したかのごとくワクワクしましたね~。小学生の頃は、財布からメルシー券をチラ見せさせるのがステイタス!「お街でお買い物してる都会的なアタシ」を、密かにアピールしたもんだ(ワタシだけか ⁉︎ )。  その頃は大きな文房具屋さんなんてほとんど無かったから、内田文昌堂の品揃えには目を見張るものがあった。ガラスケースに陳列された万年筆の類は、子どもが触れてはいけないような、ただならぬ大人の気品が漂っていた。当時流行っていたファンシーショップとも違う、子どもひとりでは入りにくい、重厚な雰囲気があった。  中高生になると通学路の途中ということもあり、たびたび友人と寄った。慣れたふうに内田文昌堂で買い物をする友人が、とても大人びて見えたのを覚えている。なぜか彼女は内田文昌堂を、略して「ウチブン」と呼んでいた。そんな業界用語あったのかね?ともかく、同級生にしては自分よりよっぽど「大人」な彼女との距離が、その時だけは少し遠く感じた。   2021 年 12 月 26 日、内田文昌堂はその長い歴史を終える。お街の記憶が、またひとつ消えていく。

エピソード51:番外編・発達障害

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  発達障害ー最近よく聞く単語だ。流行り病でもないのにねぇ。それはさておき。何を隠そう(←隠しきれてないですよ)、私ゃれっきとした「広汎性発達障害」の診断が下りている障害者(?)だ。広汎性発達障害と書いて、「こうはんせいはったつしょうがい」と読む。今は「自閉スペクトラム症」に名前が統一されているこの障害。面倒なので、詳しい説明は省きますね♪  幼少時は全く手のかからない子どもだった私。1歳8ヶ月にして、弟が風呂場で溺れている(!)ことを母親に伝え、2歳にして絵本を読み、6歳の時には国語辞典を片手に新聞を読みこなしていたという。自分が周りと違うと感じたのは、幼稚園に入った3歳の時。なんせお友達が全く出来なかった。唯一のお友達は、黄色いお洋服に赤いお目目の「ぴーこちゃん」。ただこのぴーこちゃん、私をしょっちゅう噛んだ。母はえらく変わったお友達が出来たと思っていたそうだが、それもそのはず。ぴーこちゃんは、園で飼っているセキセイインコ。この頃から、鳥とだけは心が通じ合ってたらしい。また、幼稚園にいる間は一言も喋らなかった。歌も歌わずお遊戯もせず。その代わり頭の中には全て入っており、家に帰ってから家族に披露してたらしい。こんな調子だから、小学校に入ってもなじめるわけがない。先生からは奇異の目で見られ、クラスメイトからは仲間外れの対象に。当時は発達障害の概念すら無かったから、誰も私の「おかしさ」が分からなかった。知的障害を伴う自閉症(カナー型)だけが、自閉症だと思われていた。  障害だと判明したのは、なんと30代になってから ‼︎ これはいよいよおかしいと医療機関で検査して、やっと診断がついた。検査だけで何種類あったことか…。よくネットに転がってる発達障害診断テスト(?)なんてのは、全くアテになりませんよ!これで分かったのは、知的能力(IQ)はめったにないほど高い(MENSAに入れるぞ!)が、対人関係やコミュニケーションがとんでもなく不得意、その場の雰囲気を読むことや先行きを予想するのがおそろしく苦手だということ。また、身体の動かし方がありえないほど不器用で細かい作業ができないということだった。この超アンバランスな身体を40ウン年抱えてきた私。現代社会という水の中に漂う、異質な一滴の油みたいな自分をほめてあげたい(ヨヨヨ…)。発達障害のエピソードは、今後も小出しにしていく予定!

エピソード50:ハイパープラザ

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  NコクスーパーT須店が、まだハイパープラザと呼ばれていた頃のお話。当時そこは、地域で一番大きいショッピングセンターだった。子どもの私にとっては、今のイ◯ン並みに巨大な商業施設だった。まず広い駐車場。夏休みになると、お化け屋敷など数々のイベントが催された。時々ドサ周りの有名人(?)も来て、ステージショーなどが行われていた。これらはまだ昭和時代のことである。あの頃はどこもかしこも活気があった。  店舗に入ると、スーパーの他にたくさんのテナントが入っていた。コンビニで売っているようなフィルムに包まれたおにぎりを見たのは、ハイパーのお惣菜コーナーが初めて。調味料を売っている一角は、見たこともないような名前のハーブやスパイスの見本が置いてあり、いくら眺めても飽きなかった。コーヒーはその場で豆を挽ける仕組みで、良い香りが漂っていた。  店の中心には小僧寿し、軽食コーナーがあった。手巻き寿司は誕生日など特別な日に買ってもらうのがお約束。軽食コーナーには、中に噴水が上がるジュースの機械(超昭和!)が置いてあり、揚げたてのフライドポテトの香りが食欲をそそった。パネルに書かれたメニュー表がなんとも都会的で、年上の子達が自由に飲食しているのがとてもうらやましかった。  その隣に「ファンシーショップ ゆめ」という店があった。子どもにとってまさに夢の世界である。入り口にカップ詰め放題いくらのお菓子が、色鮮やかにディスプレイされていた。あのお菓子を思う存分買いたいと、通りかかるたびに口の中が唾でいっぱいになった。店の中はサンリオなどの可愛いキャラクターグッズがいっぱい。T須地区の子は皆、友達の誕生日プレゼントなんかはそこで買ってたと思う。  ハイパープラザが改装されて20年あまり。テナントは全て撤退してしまった。今、店の隅で背中を丸め、フィルムのおにぎりを食べている老人を見ると、私が見ていたキラキラしたハイパープラザは本当に幻になってしまったのだと、寂しくなる。