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3月, 2022の投稿を表示しています

エピソード62:自然

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 実は昨日までキャンプをしていた。この私、こう見えて自然の中が大好きである。子どもの頃はインディ・ジョーンズに影響され、大人になったら探検家になると豪語していた。ジャングルの奥深く、未知の部族が住まう土地。そこに眠る、伝説の宝を求めてー。探検家になるには探偵の素養も必要だと思い込み、怪しげな人を見つけては尾行した。さらに忍者修行も必須だと考え、腰から布切れを垂らして近所一帯を駆け回ったり、お湯の上で洗面器に乗ってみたりした。 … 側から見たら完全に頭のおかしい子どもである。  それはともかく、自然の中で遊びまわるのは何よりも楽しい。幸い私は高知に生まれ育った。なんという幸運!どこもかしこも遊び放題ではないか ♪ 少し行けば海・山・川 … 豊かな大自然が広がっている。適当な場所にクルマで乗り付け、無造作にイスを構える。持ってきたコーヒーで風景を見ながら一服、辺りは鳥のさえずりに川のせせらぎ、風の音。空はどこまでも青く、突き抜けるような高さだ。しかも居るのは私たちだけという、この贅沢!  一度高知の自然に慣れてしまうと、なかなか他所の風景には満足できない。だって、こんな透明度の高い川で泳げるがで ⁉︎ 海なんて、水平線ひとりじめやし!コレ、県外に行ったら必ず人混み&渋滞必至。東京の高◯山とか、恐ろし過ぎてよう行かん。都会の人はわざわざ混んだ電車とかバスを乗り継いで、さらに混んだ山やら海やらに行くんだろうか。そんな所の自然を見て、人々は何を思い何を感じるのだろう。ウェアやギアのブランド自慢とマウント大会で終わりそうな気がするんだが(超偏見)。  地方創生なんて言われて久しい。ただ、地域の活性化のために都会のやり方を持ってくるのは、なんか違うと思う。里山には里山なりの、漁師町には漁師町なりの暮らし方があるのだから。色んな場所を巡って来て思うのは、風土をないがしろにしてはならないということ。この感覚分かる人、いますかね?

エピソード61:百貨店

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 高知大丸が今月 25 日にリニューアルオープンする。なんとタイムリー、先日数年ぶり(!)に大丸を訪れた。 … あれ、大丸ってこんな感じだったっけ?入ってからの第一印象はそれ。どうも百貨店、デパートっぽくない。私の知ってる大丸は、もっとこうキラキラしてたような。今の大丸は、なんだかグッと庶民的な気がする。全身ユ◯クロの私が全く違和感ないんだが。さすがに Dior のカウンターには寄りにくいけど、前はもっと敷居が高かったでねぇ ⁉︎  昔、と言っても私が高校生くらいの頃だから、 25 年くらい前のこと。まだイオンは無く、お街に大丸と西武ふたつの百貨店があった時のお話。学校帰りに西武にあった無印良品でお菓子を買うのが楽しみだった。「ムジラー」と言って、何でも無印で揃える人が現れたのもこの頃だったかな。お菓子の話になるけれど、大丸の地下食品街にあった「回るお菓子売り場」、あれは子どもの頃ものすごく憧れた。多分現代っ子は知らないでしょうね。大人になったら思う存分買うんだと夢見ていたけれど、いざ大人になると回るお菓子より特売の洗剤なんかの方がよっぽど魅力的だ。なんか夢のない人間になっちまったなぁ。  参観日の帰りは、母と大丸のレストラン街に行くのが恒例だった。制服姿で百貨店のレストランに入るなんて、普段は出来ないこと。大人の仲間入りをしたような気がして、少しこうべりながら食事をした。ちなみにいつも食べるのはうどんセットとかだった気がする。こうべる場所を間違えているぞ。  そういえば、遠い親戚に芦屋の大丸でポーターをしていた人がいるらしい。荷物を運ぶだけという職業が実在するんですね。一体どんなお金持ちを相手にしてるんだろ。外商が来るのは当然か?我が家なんて来るのは押し売りくらいなんだが。世界が違う人のことを想像するのは難しいもんだ。百貨店にはやっぱり、普段とは違う特別感を醸し出していて欲しい。新しくなる大丸に期待して。  

エピソード60:手習い

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 物事を始めるのにぴったりな季節、それが春。気候が良いせいか、創作意欲が湧くのも春が多いように思う。去年の日記を見返してみると、ちょうど今頃「デコパージュ」を始めている。「デコパージュ」とは、布や小物に絵を貼り付けて仕上げる作品のこと。あの頃は手芸用品のお店でキット一式を買い込み、バッグやビンを装飾しては喜んでたなぁ。今?せっかく買ったデコパージュのセットは、物置きの片隅でホコリをかぶっていますが何か?  思い立ったらやらずにはいられないが、飽きるのも人一倍早いこの私。これまでモールアート、缶バッジ、ペーパークラフト、紙袋リメイクポーチ、変わった所では色彩検定の勉強から果ては通信制の大学(!)まで、あらゆるものに首を突っ込んでは挫折してきた。キーボードを買ってひと通り弾けたらもう飽きて、売り払う。漫画家になれる(?)デ◯ゴスティーニ系の教材は、集めるだけで満足し結局最後はフリマに出してしまう。いよいよモノにならない。とにかく、めんどくさくなるのだ。  だんだん思い出してきた。無理にでも外へ出る機会を作ったら続くかと、油絵教室やスポーツジムにも通ってたんだった。ちなみに油絵教室は、静物の下に敷いてあるクロスの柄を描くのがめんどくさくなり、途中で辞めた。家族で通ったイ◯ンのスポーツジムは、最初のうちこそ真面目にやってたのにこれまためんどくさくなり、しまいには風呂だけ浸かりに通ってた。そうそう、いっとき子どもの中で流行ってたブレイブボードにも手を出したんだった。スケートボードみたいなんだけど、前後にひとつずつしか車輪が付いてないという恐ろしい乗り物!何であんなのに乗ろうと思ったのか(しかもアラフォーで)、我ながら理解に苦しむ。ちなみにブレイブボード、 20m くらいは乗れるようになってたぞ。 … ジャージに穴開けたけど。  実は今年もすでに、ピンバッジのキットと UV レジンのセットを買ってある。『またつまらないものを作ってしまったー』。こうして引き出しの肥やしは増えていくのであった。  

エピソード59:お花見

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  もうすぐ桜が咲く。毎年の開花予想に一喜一憂するのは、高知県人あるある。ここでも「日本一」を獲りたい温暖県のプライド、東京なんぞに負けた日には、目噛んで鼻噛んで悔しがるのだ(ほんまかいな)。桜が咲けば、いよいよ春本番!ドアを開ける度に「おおのひやい」という決まり文句を発し、背筋がぞんつくような薄ら寒い「しぶった」の下に出て行かないかんかった冬に比べたら。それだけで足取りは軽く、心も浮き立ってくるではないか ♪  新聞やテレビで各地のお花見情報が出てくると、花より団子のワタシだってどこぞへお出かけしたくなる。子どもの頃は、お花見の何が良いのかさっぱり分からなかった。だいたい子どもにとっちゃ桜なんて、「ああお花が咲いてますね(棒読み)」くらいの感想しか持てぬ。大人達が口々に『綺麗やねぇ』と眺めている横で、いつも「ハイハイきれいきれい」とうわ言のように生返事をしていた。  ところが大人になってみるとどうだろう。あんなに退屈だったお花見が、実に趣あふれる愉しみに感じられるではないか。うららかな春の陽に照らされて咲き誇る、無数の桜。淡い色が青空に映えて、目にまぶしい。ひさかたの光のどけき春の日にー。つい百人一首まで思い出す。やはり花を愛でるというのは、ある程度年齢が経たないと楽しめない仕組み(?)になっているようだ。  ところで、私たち家族が「ワンピースおじさん」と呼ぶ人物がいる。初めて遭遇したのは、須崎市の桑田山。のんきにお花見を楽しんでいると、ふいに現れた彼(彼女?)。首から上は還暦過ぎの短髪のおじさんだけれど、どう見ても水色のワンピースを着ているではないか!桜の下でうっとりと自撮りする姿は、まるで可憐な乙女。「 … ⁉︎ はよう見てあの人!」「どういたこと!ワンピース着いちゅうやいか!」「 … ん?ありゃお友達かね(笑)」よその大人みたいにうまくスルーできない我が家族の悲しい性、お花見そっちのけでおじさんの観察会が始まるのだった。このおじさん、以後土佐市の蓮池、越知町のコスモス畑、五台山の牧野植物園でも鉢合わせした。よっぽどご縁があるらしい。今年も会えるかな?ーしづ心なく花の散るらむ ♪

エピソー58:不惑を生きる

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  今回は「高知あるある」でも「少し懐かし」でもない、超個人的な内容であることをあらかじめお断りしておく。人生 40 年を過ぎての感想が「幸せで充実している日々♡」ではなく、「しんどい疲れた休みたい」というのは、ワタシだけだろうか。昨夜も身体の節々が痛く、眠れなかった。頭痛肩こり腰痛腹痛、シミシワたるみクマくすみ。どこもかしこも痛いし痒い。目はかすむ耳は遠いオシッコは近い。 … これがウワサの更年期 ⁉︎  これでも小さい頃はそれなりに可愛かった。その上何でも小器用にできたから、神童ともてはやされていた(注:本人談)。明るくユーモアがあり、男子女子年上年下問わず友達も多かった。なんかおかしくなったのは、周りが思春期を迎えた小学 5 年生の頃から。以前にも書いた通り、私は広汎性発達障害を抱えている。周囲とのギャップが目立ち始めたまさにその時、人生は転落し始めた。なぜか自分だけ大人になれない。クラスメイトと馴染めない。子ども時代は浮かび上がらなかった色んな「違和感」が、次々に降りかかってくるー。当然、病んだ。  実を言うと、中学高校の 6 年間で異性と会話した記憶が無い。青春?アーアー聞こえな~い!どういう訳か卒業記念の色紙も回って来なかった。どうやら居ないことにされてたらしい。そんな自分は、大学生になっても色恋沙汰とは無縁のまま。当時寮生だった私、先輩の『今日は別宅(←彼氏の家でお泊まり)~♡』という言葉が外国語のように聞こえたもんだ(哀)。  やっぱり、それなりに障害とやらを抱えている人間には、「人生をうまく過ごしていくスキル」を身につける場が必要だと思う。いくら勉強ができても、銀行や役所での手続きとか、近所付き合いのやり方は、さっぱり分からない。よく「空気が読めない」「暗黙の了解が分からない」と言われる発達障害者だが、コミュニケーションが苦手だとかいう単純な問題ではない。学んだことはできるが、教えられていないことは知らない。つまり、一般の人が自然に身につけていくことが何ひとつできないまま、大人になるのだ。就職?結婚?子育て? … この世を生きるのは大変困難である。今日もまた、 1 日が始まる。ワタシはワタシなりに生きるしかない。日日是好日 ♪