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エピソード36:「まんが」

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  「まんが王国・土佐」というキャッチコピーを、一度は聞いたことがあるだろう。高知は有名な漫画家を多数輩出していることから、その名が付いているのは皆さん周知の通り。まんが甲子園にまんさいなどのイベント、まんが通りやまんが神社(今もあるのかね?)と、まんがに関するものは何でもござれ。県庁にも、まんが王国土佐推進課なる部署が存在するから筋金入りだ。  実は子どもの頃の夢のひとつに、漫画家になることがあった。理由は単純。いわゆる漫画家のイメージ、ベレー帽にペン姿が、なんだかカッコ良く思えただけのこと。落書きするのは得意で、授業中は教科書をノート代わりにして壮大なる冒険物語を展開していた(だから真面目に授業を受けなさい)。パラパラまんがはもちろんのこと、せっかくの教科書をドア型に破り、次のページに飛べる仕掛けを作ったりとか。ありゃ楽しかったですね♪  まーでも自分に漫画の才能が無いと気がついたのは、中学生になってから。そもそも面白いストーリーを考えたり、コマ割りをしたりという基本的な作業が出来ない。それに加えて絵の下手さ。すっかり嫌になりペンを折った(大げさ)。とはいえ、一度は夢見た漫画家への道。あきらめきれず、地元紙K知新聞のまんが投稿欄に何度か出したりしてみた。結果?当然全て落選ですよアハハハハ(泣)。なんで自分のが落ちて、これが入選?何が面白いんだかさっぱり分からん、などと他人の作品をおとしめたところで、自分の評価が上がるわけでもなし。けれど言わせてもらう。ちっとも面白さが分からない作品があるのは確かだ。  断捨離のつもりで画材もほとんど処分したが、余裕ができたらまたまんがでも描いてみようかしらん。自分が楽しく描ければ、それでよしとしよう!

エピソード35:お酒

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   土佐は酒の国だ。昼間から、いや朝から呑んでいても誰も驚かない(あたしゃ嫌だけど)。かの土佐日記にも子どもまで酒を呑んでいた、とかいう記述があるくらいだから、その歴史は長い。山内のお殿様だか、土佐のお殿様が家臣達に『一升飲める者は前へ出よ』と言った時には誰も出なかったが、『では二升飲める者は』と聞いたら全員前へ進んだ、なんて話もあるようだ。土佐の自然が育んだ美味しい水に美味しいお米が、旨い酒を作るんでしょうね。  かくいう私は全くお酒が呑めない。酒瓶の前を通っただけで酔うくらいだ。親戚中見渡しても、私だけが下戸である。母方の叔父2人はBARを経営しており、父方の祖父も父もお酒が大好きで毎日晩酌をかかさない。残念ながら(?)呑めない遺伝子がまとめて私に来てしまったようだ。歯がゆいことこの上ない。仕方なく宴席では宴会芸係として、どうでもいい小ネタやら一発芸やらを駆使して盛り上げる羽目になる。…周りは酔ってるからうげてくれるが、シラフでやったら場が凍りつくクオリティなのが泣ける(悲)。  ところで母方の先祖に、阿波の海部にあるお城のお殿様に仕えている人がいた。そのご先祖は三度の飯よりお酒が好きで、とうとうお殿様のお酒にまで手を出してしまった。結局盗み呑みしている所が発覚し、自刃した。その因縁で、子孫代々酒にまつわる人生を送ることになり、一度は腹を切る、…なんて話を今は亡き祖母から聞いたことがある。実際叔父はお酒を生業にしているし、祖母共々腹部を手術している。あながち与太話とも思えないのが怖い所。これには後日談があり、ある時父方の家系図を眺めていたところ、なんと阿波の海部でお殿様だった先祖がいるのを発見した。もしそのお殿様に仕えていたのが、例の母方のご先祖だとしたら…。気づいた瞬間背筋に薄ら寒いものが走ったのを覚えている。うーむ、酒のウラミは恐ろしい!

エピソード34:怖い話

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   毎年お盆になると「心霊番組」の特集が放送されるのを、子どもの私は楽しみにしていた。今はどこかの団体(?)がうるさいのか、ほとんど放映されなくなったのが惜しまれる。心霊番組といえども、オバケや幽霊の類から心霊写真に呪いのビデオ、はては宇宙人解剖フィルムまで何でもありだったような気がする。「水子」とか「地縛霊」に「霊能者」なんて言葉は、全て「あなたの知らない世界」で習った。真っ昼間から弟と毛布被って見たものだ。  私自身はいわゆる「見える人」ではない。霊感のレの字も感じないタイプだ。けれどその手の話は大好きで、怖いくせに恐ろしげな表紙の心霊写真集を買ったこともある。もっとも学校に持って行ったらクラスメイトが皆こぞって読みたがり、返ってきた頃にはボロボロになっていた。大人になっても怖い話は好きで、陰謀論からカルト宗教、超常現象などのジャンルはほとんど読んだ。そんなのを熱心に読んでるワタシの方が、オバケよりよっぽど怖いと思う。  そんな私が現実世界で怖いと思う目に遭ったのが、一度だけある。関西某所でとある講座を受けた時のこと。どうも途中から内容が怪しくなってきた。講座終了後、数々の矛盾点を質疑しようと手を挙げると、挙手したのは私だけ。完全にアウェー状態の私は、要するに「教祖さまと信者さん達」に囲まれていたのだ。  なんとかその場をやり過ごし、教室を出て一息つこうとお手洗いへ。用を足し出てきた私を待ち受けていたのは、先ほどの講座の面々。しかも教祖さま付き!エスカレーターに乗って帰ろうとする私を取り囲み、食事に誘う彼ら。逆らえずなぜかそのまま密室になるエレベーターに乗せられてしまった。その後は…。まぁ無事に帰ってきたから今この文章を書いている訳で。あの時ばかりは、自分にも「不思議な力」があるから守られたのでは?と身にしみて感じている。

エピソード33:よさこい

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   例年ならよさこい祭りで盛り上がる頃であろう高知。踊り大好き&お祭り大好き人間の私は、もちろんよさこいが大好きである。物心つく前からよさこい節ががかかると、勝手に手足が動いていたという。高知市に限ることなのかどうか、幼稚園や小学校の運動会でよさこいを披露するのは恒例行事だった。  だがいつの間にやらよさこいは、ヨサコイやらYOSAKOIなどというものに取って変わられてしまった。断っておくが、私はカタカナのヨサコイやアルファベットのYOSAKOIは、背中にゾゾ虫が走るほど苦手である。ファンの方には悪いけど、突っ込まずにはいられない。なんだよあの一昔前の衣装みたいな珍奇なキモノに変なメイクは ⁉︎ 妙ちくりんにアレンジするなら正調をマスターしてからおととい来やがれい ‼︎  高知のよさこいの良いところは、何でもありの中にも暗黙の了解や不文律が存在し、無秩序のようで調和しているところである。矛盾しているようだが、その極めて微妙な清濁併せ持つバランスの上に成り立っており、これはもう高知という土地柄・人柄・歴史が作り上げて来たもので他者には到底真似できない。小難しく書いたが、入賞常連チームの美しい舞も見応えがあるし、某K知大学のN冥寮とN章の「二大汚対決」も楽しみだという単純なことである。ボロボロの軽トラにブルーシートで作られたオンボロの地方車の後ろに続く、煮染めたような色の法被に身を包んだむくつけき男達の群れ。こちらまで何かが臭ってきそうだ。県外観光客が引き気味に見ている中でも独自のスタイルを崩さない。うん、好きだ♪  よさこいが終わると、急激に秋の気配を感じるようになる。空の色も薄くなり、胸躍らせた夏が遠ざかって行く。

エピソー32:接客

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   壇上で『お・も・て・な・し』と手刀切って数年後、ゴタゴタしつつも東京オリンピックは開かれた。っていうか、来客をもてなすのは当たり前のことじゃないのか ⁉︎ ま、ツッコミは置いといて。  昔の高知(おそらく昭和時代)は、店の態度が良くないのが当然だったようだ。観光客が高知に来て買い物をした時、接客態度の悪さが特に印象に残ったという話を聞いたことがある。なんでも某商店街なんかは皆、「こっちはあんたらあに売っちゃりゆうがやき」という強気な態度でいたとか。誰がそんな店で買うかよ ⁉︎ …まあその後の高知の商店街の没落(?)ぶりを見たら分かるように、店が高飛車なのはとんでもなく時代遅れだったということで。  しかしいまだに高知の店の接客態度は、県外に比べてイマイチだと思う。ちょっとキレイめなお店に入った時のこと。オシャレでスリムで若いお姉さんには店員が熱心に接客してるのに、ワタシは完全スルー(怒)。なんなら万引き犯に間違われたかも(さらに怒)。自分がどうでもいい格好&ドラム缶体型のオバサンだから、そんな仕打ちを受けるのか ⁉︎ 2度と行くか、あんな店 ‼︎  ところである日のこと。父が飲み会から上機嫌で帰って来た。訳を聞くと、お店の女の子に声を褒められたという。断っておくが、ワタシは父の声を良い声だと思ったことはこの方一度もない。おそらくその場は、声でもネクタイの柄でも何でもよかったんだろう。しかしその一言で人を上機嫌にさせるとは、さすがに接客のプロである。やはり接客というものは、テクニックが必要だ。…もっともワタシなぞは『いい時計してますね~(棒読み)』と、二千円の時計を褒められたことがある。おーい、うわべだけのお愛想は客にバレバレですよ(呆)。  

エピソード31:免許

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  免許更新の時期が来た。こんなことでもめんどくさいと思うのは、うだるような暑さの時に行かなければならない夏生まれの宿命か?気候の良い時に生まれた人の方が、なんだか有利な気がする。例の誰でも人相が悪く撮れる謎の写真も、夏だと汗まみれで化粧ドロドロ、髪はべったり張り付いて、出来上がりはまるで妖怪オババ。ほんと、加工や修正ができないもんかね ⁉︎  それはさておき。私が運転免許を取ったのは30歳を過ぎてからと遅かった。大抵の人は高校や大学卒業のタイミングで取ると思う。なぜか運転に対してすこぶる恐怖心があり、「あたしゃ絶対免許は取らん。クルマは乗るものじゃなく乗せてもらうものだ!」と公言していたくらいだ。  しかしさすがに高知で免許が無いのは不便ということで、やっとこ教習所に通うことにした。1回目はミッションで取ろうとしたが挫折(当然)。2回目にオートマに変えて、なんとか取った。重い腰を上げ、乏しいお小遣いをはたいて軽四を買ったのは、ペーパードライバー歴5年目の時。その頃父が大病をし、ドライバーがいなくなって切羽詰まったのも背中を押した。最初はお守りがわりに初心者マークを前後に2枚ずつ貼っていた。これで皆避けてくれるだろう(おいおい)。  一番嫌だったのは、お節介な家族を乗せるときまって『あー自転車!』『ほらほら信号見て!』『ちょっと!人来ゆうで!』『わぁ、当たる当たる!』などとやかましく言われることだった。そんなこと、こっちは百も二百も承知なんだが(怒)。  紆余曲折を経て、なんとかゴールド免許で今まで続いている。愛車の左側はキズ&ヘコミだらけ。うん、努力の証♪(←よく事故にならなかったものだ・滝汗)