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エピソード5:フラフ

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 「フラフ?それ美味しいの?」なんて聞く高知県民はいないでしょうね。 5 月の空にこいのぼりと共に掲げられる、大漁旗のようなもの。高知県内東部を中心にフラフ文化があると言われる。これを見ると、ああ夏が来るなと清々しい気持ちになる。語源は「旗→フラッグ→フラフ」らしい。オーソドックスな那須与一みたいな武者絵から、金太郎に桃太郎、はてはキャラクター物まで、絵柄はバラエティに富んでいる。子どもの名前を入れるなど、オリジナルのフラフも多い。  鮮やかに染め抜かれたこのフラフ。聞くところによると、ウン十万円もするとか。立派なこいのぼりとフラフがいくつも並んでいる家を見ると、ついつい金勘定をしたくなるのは貧乏人の悲しい性で。さらに最近のキラキラネームが入っていたりすると、頭の中で読み方のクイズ大会が始まってしまう。結局分からずモヤモヤしたままフラフの季節は終わり、また翌年同じモヤモヤを抱えてしまう羽目になったりするのは私だけ?  ところで、こいのぼりといえば。支柱に対して平行に掲げるのが当然だと思っていませんか。要するに上から吹き流し、真鯉、緋鯉 … のような縦並び。これが幡多から愛媛県の山中に行くと、なんとメザシのような横並びになっているのだ。全国的にも珍しいこいのぼりの揚げ方だと思うが、このような風習もやがて廃れていくのだろうか。

エピソード4:イタズリ

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 イタズリー標準語で虎杖(イタドリ)のことである。高知の人間なら一度は口にしたことがある山菜。県外では四国内で少し売られているくらいで、あまり見かけない。っていうか、イタズリなんてお金出して買うモンじゃないぞ。  毎年春から初夏にかけて食べられるイタズリ。根っからの採集民族である我が両親は、この時期に山に行くと、目を皿のようにして道端を探索する。運転中の父でさえあっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロするので、乗っている方は危なっかしくて仕方がない。そんな危険をおかしてまで取る意味があるのかと現代人のワタシは思うが、古代人の父母にとってはまるでイタズリが金の延べ棒のように見えるのだろう(勝手な推測です)。  だいたい山道を走っている時、道端に高知ナンバーの不審な車が乗り捨ててあるのは、ほぼ 100 %イタズリを取っていると言っても過言ではない。県内は高知県民にほぼ取り尽くされているので、県境が狙い目。とはいえ、最近は昔ほど見かけなくなったような?  取った後の皮剥ぎやアク抜きが面倒な上に、ものすごく美味しいという訳でもないイタズリ(まあそれなりには美味しいけど)。しかしその姿を見ると、ふつふつとアドレナリンがわいて取らずにいられなくなるという、これはもはや高知県民の風土病に違いない。

エピソード3:営林署

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 森林面積の割合が日本一の高知県。県面積の 84% が森林だとか。昭和 30 年代の高知は、林業が花形産業だった。そんな時流に乗ったのか、ワタシの両祖父も共に営林署勤めをしていた。その縁で父母が知り合い、ワタシがいるという。まっこと山に足向けて寝れんちや。  今でも山に行くと、昔営林署の官舎であっただろう木造の建物に出会うことがある。どこの官舎も営林署独特の作りで、趣を感じる。  母曰く。転勤族なのはやむを得なかったが、「官舎さん」と言われて結構ちやほやされたそうだ。食料やちょっとした雑貨は、購買で手に入れる。しかもツケ払いで。ある時はどこからか見たこともないような 2 段重ねのケーキが回ってきたらしい。今はもう時効だろうが、袖の下だったのか ⁉︎  乗り物はバイクが支給され、父はいつも家族 5 人(!)で乗っていたそうな(どこに誰がどう乗るのか謎)。おおらかな時代だったのを感じる。母方の祖父は「チョーカ」を履いてバイクにまたがり、山を駆け回っていた。「チョーカ」とは「長靴」のこと。舗装もしていない道なので、転んで大怪我をしたこともあったらしい。  時代は変わり、映画館やパチンコ屋があり賑わっていた山は今や、寂れた集落と化してしまった。何クラスもあった学校は廃校になり、営林署も無くなった。山を生業にしていた両祖父が亡くなって久しい。

エピソード2:お遍路

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 今でこそレジャーのひとつみたいになっている四国遍路。休日には各所でカジュアルな姿の歩き遍路を見かけるなど、観光資源としてもメジャーになりつつある。お寺も独自の工夫を凝らし始め、スマホアプリを駆使した案内を開発したり、ミュージカルなどのイベントを開催したりと、イメージが変わってきた。  しかし昔はお遍路というと、何やら触れてはならないもののような印象があったという。ボロボロの白装束姿で家々を回って集めた米を、道端で煮炊きしている姿も見られたらしい。母が子どもの頃(昭和 30 年代)には、「悪いことをするとおへんろさんに連れて行かれる」という言い伝え(?)があり、それはそれは恐ろしかったと話していた。  とか言いながらも、実はワタシ達家族は 2 度も四国遍路を制覇している(もちろん車でですよ)。しかも言い出しっぺは、あんなにお遍路を怖がっていた母。スタンプラリー気分で旅行もできて一石二鳥!最後は和歌山県の高野山まで行けてラッキー!ってな感じか?  高野山では本格的な宿坊に泊まり、初めての精進料理に目を丸くしたのは良い思い出。しかしその夜。風呂に入っている時に、不届き者の小坊主に覗かれる(!)という事件が発生。これまた忘れられぬ思い出ができたのも事実である。

エピソード1:文旦

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 文旦の相場はいくらなのか、ということを考えた土佐人は多いハズ(まるっきり私見 です)。 某空港の土産物店では1個1,000円などという法外な値段を付けられており、のけぞった。 そりゃなんぼいうたち口どころか、手も足も腫れる。      ワタシらみたいなTHE・庶民は、いかにモノを安くたくさん買うかに命をかけている。  スーパーなんかで売られている価格では買わないのがモットー。狙うは産直市や良心市!  どんなにビュンビュン車を飛ばしていても、道端に安そうな市を見つけたらくるりと引き返す。 ワタシらみたいなTHE・庶民は、いかにモノを安くたくさん買うかに命をかけている。 後続車はさぞかし迷惑なことだろうが、そんなことを気にしてはいられない。 今にも崩れそうな市に積まれた文旦を、袋の外から数える。多ければ多いほど良し。 安ければ安いほどなお良し。  とある産直市で見つけた文旦がすごかった。 最初は1袋に十数個入って300円だったのが、だんだん200円、ついには14個で100円にまで値下がりした。 もっともそんな文旦は、まるで温州みかんのようなシロモノだったが。たかが文旦、されど文旦。