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10月, 2021の投稿を表示しています

エピソード47:リサイクルショップ

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  高知市内に有名な「Hり出しや」というリサイクルショップがある。家から歩いて行けるほど近いので、ちょくちょく覗きに行く。いかにも胡散臭い店構え(失礼)とは裏腹に、結構オシャレなモノも置いてある。そんな意外性がウケているのか(?)、いつ行っても繁盛している。しかもココ、他の店で断られた品物でも良い値で買い取ってくれたりするのだ!あなどれんぞ、「Hり出しや」♪  リサイクルショップを巡るのは楽しい。昔の古着屋は、店に入った途端独特の臭いが鼻をついて、すぐに気分が悪くなったものだ。リサイクル品=中古というイメージがあり、どうしても他人の使い古しという感覚だった。しかしここ最近は、ずいぶん店も品物も明るくきれいになった。新品も数多く置いてあり、お得感満載である。あのブランドがこの価格で ⁉︎ ついつい財布のヒモも緩んでしまう。実際、今まさに飲みかけのコーヒーを入れているKINTOのマグカップだって、リサイクルショップで買った物だ。KINTOの新品が100円だったぞ!もう何年も愛用しているが、丈夫なままである。  とはいえ、うっかりな失敗もある。以前某古着屋で、本格的なワークジャケットを見つけた。お値段も手頃で、何よりデザインがカッチョイイ!ウキウキして手に取ったら、なんと胸元に「◯◯建設」という、倒産した会社の刺繍がしてあるではないか!そりゃ作業服だもの、本格的なデザインだろうよ。っていうか、会社の制服なんか売るな(呆)。  唯一リサイクルショップに物申したいのは、買取金額が低すぎること。査定してもらうと買った金額の100分の1くらいしか値段が付かない、なんてザラにある。こちらは重たい洋服を何着も抱えて来ているのに、買取金額はほんの数百円!コーヒー代にもならんやいか ‼︎ 売ったお金であの服やらこの靴やらを新調しようと思っていたのに…。毎回毎回げっそりして帰る羽目になる。はあぁ、ご利用は計画的に、買い物は慎重に(涙目)。

エピソード46:ルーズソックス

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  別にイカガワシイ話を書くつもりはないが、何となく妄想をかき立てられる単語「ルーズソックス」。最近女子高生の間で、再びルーズソックスが流行っているらしい。半ばコスプレ感覚でインスタなんかにあげるようだ。ちょうど今の高校生の母親世代に流行していたコンテンツが、その子ども世代には新鮮に映るとか。「昭和レトロ」ならぬ「平成レトロ」である。ルーズソックス…うーん、私の高校時代ドンピシャじゃないか ‼︎  高知県内で一番校則が厳しいと言われる学校に通っていた私。ちなみに市内中心部の学校ではない(特定できるな・滝汗)。当時都会で大の「女子高生ブーム」が起きているのはテレビなどで知っていた。ミニスカ&ルーズソックス、茶髪に細眉。手にはPHSを持ち、渋谷を闊歩する「コギャル」が、なんともうらやましかった。しかし自分は田舎の地味な高校生。制服のズロズロしたプリーツスカートはひざ小僧が見えたらアウト。ミニスカにするなんてとんでもない。けれど夏は暑くてたまらなかったから私なりに工夫し、ウエストを最大限緩めてサスペンダーで吊っていた(←校則違反ですよ)。当然憧れのルーズソックスも禁止。仕方なく長めの靴下を少したるませて履いていた(逆にダサい)。母曰く、あの頃はルーズソックスしか売っていなくて、普通の靴下を探すのに苦労したとのこと。はぁ、一度でいいからスミスのスーパールーズを履いてみたかったなあ(遠い目)。  高校生の頃は自分をいかに「イケてる」ように見せるかばかりを気にしていた。些細なことだけれど、スカート丈のほんの数cmの違いや靴下の微妙なたるませ方が、クラスでの自分の立ち位置を決めた。声高におしゃべりしながらトイレで化粧をする派手な同級生の隣で、隠れるようにリップクリームを塗っていたあの頃の私。本当は私も、あの子たちの仲間に入りたかった…。制服姿の女子高生を見ると、苦しく切ないあの頃の記憶がよみがえってくる。今なら思える。私にルーズソックスは似合わないと。

エピソード45:宝くじ

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  もうすぐハロウィンだ。父が母に問うている。『ハロウィンち何ぜ?』母が答える。『カボチャの日』…違う、そうじゃない。ま、高齢者にとってハロウィンとは、そのような認識でしかないのだろう。生暖かい目で見てやろう(^ ^)。先日宝くじ売り場の前で「ハロウィンジャンボ宝くじ」に並ぶ人々を見た。ハロウィンジャンボ、以前はオータムジャンボと呼ばれていた宝くじである。一等ウン億円が当たるとか。そんなお金、想像もつかんぞ!  なぜか高知県は、人口の割に宝くじの高額当選者が多いらしい。有名な売場としては、NコクスーパーT須店にある「T須ハイパーチャンスセンター」。名前からしていかにも当たりそうだが、これは以前NコクスーパーT須店が「ハイパープラザ」と呼ばれていた名残りである。名前が変わってもう20年以上も経つのに、今だに近所の年寄りは「ハイパーへ行てくる」と言ってるぞ。ちなみにココ、いつも車と人でごった返している。しかも高齢ドライバーが多いもんだから、何度か事故も目撃した。宝くじに当たるより、車に当たる確率の方が断然高いと思われる。お買い求めの際は充分安全に気をつけて。  あとは、少し話題になったイ◯ン高知店の宝くじ売り場。なんでもロト7か何かで、一度に28億円が出たとか!28億円など、宇宙の果てより未知の世界である。それにあやかってか、店先で記念写真を撮る人も見たことがある。…もっともあそこの売り場は、売り子の態度が(以下略)。  もしも宝くじが当たったら何をしたいか…せいぜい私たち庶民(もとい貧乏人)の考えることは知れている。「カニやエビをかゆくなるまで食べたい!」とか、「チョコとポテチを10万円大人買い!」みたいに、どうもくだらない使い方しか思い浮かばない。やはり人にはそれぞれ身の丈に合ったお金しか与えられないようだ。  そうは言っても、大安吉日・一粒万倍日・天赦日などが重なった超吉日には、妙に身体の奥がうずいてくる。ただ冷静に考えると、今まで宝くじに費やしたお金で売り場の建物くらいは買えそうだ。やはりギャンブルはやらないに尽きる(猛反省)。  

エピソード44:風邪

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  ナントカは風邪をひかないと言うが、あたしゃたびたび風邪をひく。実はこの文章、布団の中で書いている(ただのゴクドウ)。数日前から身体がだるく、寒気がする。クシャミ・鼻水も止まらない。腹具合もおかしいようだ。そのくせ熱は出ないから、なんとも中途半端な風邪である。歳のせいか(?)、めっきり寒さにも弱くなった。まだ10月なのに、長袖を着て羽毛布団と毛布にくるまっているなんて、以前の自分には無かったことだ。他人の病気話などとことんどうでもいいと思うけれど、しばしお付き合いを。  そういや子どもの頃はなぜか、真冬でも半袖半ズボンを貫く男子がいたものだ。人と違う自分カッチョイイとかいう、そんな心理から来ているのか?女子でそんなことをする者は1人もおらず、必ず男子だったのがミソである。カッチョイイと思っているのは本人だけで、周りの女子は皆冷ややかな目で見ていた。そんなヤツは中学や高校にもいた。真冬の半袖どころか、真夏の学ランも見たことがある。さすがにそれは先生に注意されていた。  とことん身体が丈夫だった自分は、病弱な人がうらやましかった。アホな無い物ねだりである。「薄幸の美少女」ではなく「発酵の微少女」だったワタシ。クラスの美人が転んだ時には周りがサッと駆け寄り、「大丈夫?」なんて優しい声をかけてるのに、私が転んだ時にゃ誰も集まらず、「アハハッ、あのコケ方 ‼︎ 」なんて指差して笑われた。この違いはどこから来るんだ ⁉︎ また、珍しく熱を出して欠席した次の日。ヨロヨロと登校した私を見て友人が一言、「どーした?拾い食いでもしたが ⁉︎ 」…まっこと皆んな優しいちや(怒)。  ふと思い出した。母と弟が同時にインフルエンザにかかった小学2年生の冬。誰も自分にかまってくれず、腹いせに寝込んでいる2人の横で、『♪相撲取りスッポンポンで風~邪ひ~かな~い♪』と踊ってやったのを。…うーむ、やはりナントカは風邪をひかないというのは、当たっているようだ。

エピソード43:万博

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  今ドバイで万博が開催されている。日本で万博と言えば、太陽の塔で有名な1970年の大阪万博だろう。実はこのワタシ、大の万博マニアである。生まれる前の大阪万博だが、ガイドできるほど本を読んだ。コンパニオン(!)の衣装に、各国趣向を凝らしたパビリオン。現代を生きる自分でも近未来を感じてワクワクする。そんな万博の中でも私が一番好きなのが、1985年の国際科学技術博覧会、通称つくば万博である。う~ん、「つくば」という響きを聞くだけで胸が高鳴るぞ!  さて、そのつくば万博に合わせて高知で開かれたのが、確か1984年の黒潮博じゃなかったか?今のぢばさんセンターに、一回転するローラーコースターが設置されていたのをなんとな~く覚えている。当時ブレイクする前のチェッカーズが来ていて、私もそのステージを観たらしいが、残念なことに写真も記憶も無い。覚えているのは、パビリオンのお姉さんがやたらキレイで、自分も将来はあんなお姉さんになりたい!と憧れたことだけ。あとはつくば万博のキャラクター、「コスモ星丸」のシールを買った父が、嬉々としてガラス戸に貼っていたことくらいか。何を思ってか階段状にシールを貼り、ウケ狙いで最後の一枚だけ段を外して貼っていた。私たち姉弟はキャアキャア笑いながら喜んだものの、母は始終渋い顔をしていた。あのシールは家を建て替えるまでずっと残っていたのを覚えている。  2025年にも大阪で再び万博が開かれるらしい。しかし私は思う。こんな世の中で今、莫大なお金をかけて万博を開くなんてどうかしてると(賛成派の方すみません)。かつての万博は、日本が高度経済成長期、バブル期だったから開催できたのだ。50年前のテーマ、「人類の進歩と調和」。コンピュータとテクノロジーは素晴らしく進歩したが、何年経っても人類が調和することなんてないだろう。ともかく、私がときめくような万博は、もう二度と開催されることはない。  でも、私の心の中に潜む万博マニアが、どうしてもトキメキを要求して止まないのだが・・  

エピソード42:弁当

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 秋の行楽シーズンが来た。雲一つない真っ青な空、天高く馬もワタシも肥ゆる秋。食欲の秋がやって来た。そこで思い出すのが、かの有名なキャッチフレーズ「24時間眠らない」を生み出した、お弁当&コンビニエンス「くいしんぼK月」である。子どもの頃は漢字の「K月」が読めなかったもんだ(どうでもいい)。ちなみにチキン南蛮はオーロラソースという高知県民の常識を作ったのは、このK月ですよ(こりゃタメになる)。もっとも私自身はK月のお弁当を買った記憶がほとんどない。他所で弁当を買わない主義(?)の家庭で育ったせいだ。なんだかもったいないなぁ。  食に興味のない母親を持つと、学生時代の弁当の思い出は苦いものばかりになる。忘れもしない、小学5年生の夏季合宿。当時は500mlのペットボトルなんか無かったから、水筒で使い捨てになるようなものを準備するのはとても難しかった。そこで母が用意したのが、なんと薬液バッグ!すこぶる嫌だったが、喉の渇きには勝てない。しぶしぶクラスメイトの前で飲んでいると、ある男子が言った。「そりゃシビンか?」その時点で手に持ったナニはシビンにしか見えなくなり、後の3日をお茶無しで過ごすハメになった(怒)。  またある時は何を思ってか、タテ30cm×ヨコ15cmくらいの馬鹿でかいプラスチック容器に弁当を詰めてきた。自転車通学の私。当然のことながら学校に着く頃にはまんべんなくシェイクされ、フタを開けると得体の知れない茶色の物体が異様な臭いを放っている。泣く泣くお箸ですくって食べていると、追い打ちをかけてクラスの男子が「わはは、ドカベン!」などと笑うから(略)。  今の子ども達はつくづく恵まれていると思う。冷凍食品の種類も増え、味も格段に良くなった。可愛いキャラ弁を作るグッズも数え切れないほどある。私みたいに難儀な思いをすることはないだろう。しかしそれでも、母の弁当は私にとってかけがえのない宝であることに変わりはない。