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9月, 2022の投稿を表示しています

エピソード80:月見山

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  先日、香南市香我美町にある高知県立月見山こどもの森へ行ってきた。高知県人なら一度は訪れたであろう、アスレチックで有名なあの月見山である。私自身、本格的に遊びに来たのは子どもの頃以来だ。てっきりアスレチックは廃れたものだと思い込み、知人にも吹聴していたぞ(失礼)。アスレチック、リニューアルされておりしっかり健在です。結構親子連れで賑わってたのが、なんか嬉しかったなあ。意外と県外ナンバーのクルマも多かった。観光地として、しっかりその役目を果たしておるようです。  さてそのアスレチックだけども、高知県の観光名所や名物がモチーフとなっている。私が一番好きだったのは「土佐の一本釣り」という名の魚釣りゲーム(もはやアスレチックではない)。今も変わらず残っていて、これだけやって帰った。だってもう身軽な子どもではない中年女がアスレチックに挑むのは、ハードルが高過ぎるんだもの。あの山道を歩くのでさえふうふう言っているのに、アスレチックなぞとんでもない。月見山にレスキュー隊が殺到しては困るので、今回(?)は見るだけにとどめておく。とはいえ展望台からの眺めは素晴らしいので、山頂まで登る価値は十分ありますよ。  そういえば確かバブルの頃だったか。アスレチックとか巨大迷路が流行ったの、覚えていますか?高知では 1988 年に高知自動車道の南国~大豊間が開通したのを記念して、「土佐れいほく博」が本山町で開かれたんだが、もれなく私たち家族も祖父母を引き連れて行っている。そこに当時ブームだった巨大迷路があって、結構なお金を払って入場した記憶がうっすらあるぞ。ちなみにその時のチケットが今も残っているんだが、なんと高知県出身の漫画家である徳弘正也先生のイラストが使われているではないか!コレ、ファンでなくても垂涎の超貴重品ではなかろうか。某お宝鑑定番組に出したらどんなお値段がつくのか、ちょっと本気になってみたりして。  話は月見山に戻る。これからの季節、散策するにはもってこい。ただ、ここは県立の公園なので草花などは持ち帰らないように。次こそはアスレチックに挑戦できる … かな ⁉︎

エピソード79:秋の味覚

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 台風 14 号が過ぎ、急に涼しくなった。朝は肌寒いくらいである。あんなに暑い暑いと言っていたのが嘘みたいだ。台風といえば。今回も農産物などに被害が出たようだ。収穫間近の梨やブドウが落下し、損害を受けている。さて、台風が収まるとすぐ産直市に走ったのが、我が母。傷ものの新高梨が、信じられないようなお値段で売っているのだ。傷の部分はカットされているが、どうせ切って食べるもの。味はれっきとした新高梨である。わずか数百円でレジ袋 2 つ抱えてきた母、大手柄であるぞ。時々「イモ」という、なんかモクモクした舌触りの梨も混ざっているが、さほど気にはならない。なんせあの高級な新高梨を腹いっぱい食べられるのだから。これがほんとの SDGs である(適当)。  ところで。私たちの世代より上の完全な昭和人は、自然のものをそのまま口にするのに全く抵抗がないようだ。というのも、昭和中期生まれの我が両親。出かける先の至る所で、ミカンだの柿だのが木になっていたら、もぎ取って口に入れるのである。大抵「こりゃあ酸い」「おおの渋い」という感想になるのだが(そりゃそうだ)。私らなんか、外にあるものは「危険」「不衛生」なんて教えられてるもんだから、とてもそんな真似は出来ない。ありゃ絶対「グリコ・森永事件」の影響だと思う。平成後期生まれ&東京育ちの姪など、水道の蛇口から出る水さえ怪しんで飲まない。まあ、それもどうかと思うんだけどね。  そうそう、前回お墓参りのことを書いたけれども。ちょうどお墓の横に栗の木があって、運が良ければ栗拾いが楽しめた。まだ緑がかっている栗のイガを見つけては、うまく足で踏んで栗の実を取り出した。今の人は栗拾いなんかしたことあるのかね?靴でイガを外す術とか、絶対知らないだろう。わずかしか取れないけれど、持って帰って茹で、包丁で半分に割ったのをスプーンでほじくりながら食べるあの味は格別だった。私は思う。都会で手をかけて作られた高価な栗のスイーツより、山から取ってきて茹でただけの栗が断然美味いと。

エピソード78:お彼岸

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 子どもの頃のお墓参りといえば、家族総出で行う一大イベントであった。今のように高知市内にある霊園でささっとお参り、というわけには行かない。香美市土佐山田町の山中にある古~いお墓の群れ群れを前に、祖母より語られる先祖代々の言い伝えを神妙に聞く、由緒正しき行事だったのだ。  お墓にお供えするお菓子を準備するのは、祖父の役目。この祖父、大正生まれの割にハイカラな人で、例のハイパープラザへ男 1 人で買い物に行くような先進的な人物であった。祖父チョイスのお菓子は、子どもの私達の食欲を刺激するものではなかった。なんでポテトチップスやチョコレートじゃないんだろうと、いつも思っていた。だって用意されるのはいつだって、「フローレット」という砂糖の塊のようなバカ甘いお菓子に、寒天を押し固めてこれまた砂糖をまぶした毒々しい色のお菓子。これ、口に入れると歯ににちゃにちゃ引っ付いてすごく嫌だった。まだマシなのは「鯛あられ」で、鯛の形をしたうす甘いあられ。ちなみにお墓参りの時以外には見たことが無い。時々ブルボンの「ルマンド」が出ようものなら、小躍りして喜んだ。個人的に、墓石の前で蚊に食われながら食べるルマンドほど美味いものは無いと思う。  祖母の語るご先祖さまの話は、ウソかホントか分からないけど面白かった。『この人はひい爺さんのお爺さんで~』みたいにルーツを遡って行くのは、子ども心にもワクワクした。結構昔のお墓も残っていて、江戸時代のものまであった。ちょっとしたファミリーヒストリーである。今思えば、とても貴重な経験だったなあ。  帰りには、大叔母が沢山のおはぎを作って持たせてくれた。大叔母が父のことを「~君」と呼ぶのが、新鮮に聞こえたことだった。大叔父は祖父とよく似ていて、血のつながりを感じた。 2 人が並んでいるのを見て「似いちゅう!似いちゅう!」とはやし立てたっけ。  おじいちゃんもおばあちゃんも、似いちょったおんちゃんもおらんなった。おばちゃんはまだ元気やろうか。おばちゃんの作ったおはぎが、うんと食べたい。 

エピソード77:日曜市

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 『にちよういち』という絵本がある。高知市出身の絵本作家、西村繁男さんの作品だ。もう 40 年以上も前に作られたものだが、今でも人気のあるベストセラーだ。主人公は「あつこ」という女の子と、そのお婆さん。全編を通して土佐弁の会話で綴られており、なんだか懐かしい気分になる。この絵本、私の大のお気に入りで、県外出身の友人にも勧めまくったほどだ。   さて、この日曜市。これは高知県の誇る一大観光アイテムだと思うぞ。ショッピングとアクティビティ、それにサイトシーイング。全ての要素を兼ね揃えているではないか。ひとたび足を踏み入れれば、そこはディープなザ・土佐だ。お婆やお爺、おんちゃんおばちゃんが操るネイティブな土佐弁スピーキングを生で聞けるうえ、「よっしゃ、これも持ていき!」などの気前の良い土佐人気質も思う存分味わえる。多種多様の野菜や果物が並ぶ様は眺めるだけでも楽しいし、芋天や冷やしあめなどを片手に強烈な古漬けの香りを浴びるのも、また乙なものだ。テイクアウトはもちろん田舎寿司。いやあ、えいねえ♡  ところで、日曜市といえば。昔、毎週のように「今日は僕の誕生日!お花を買うて行って~ ♪ 」って言う名物おんちゃん、おったでねえ?おんちゃんの言うことが本当やったら、今頃はすごい歳になっちゅうはずやけんど。あんなのどかな時代が懐かしい。あと、高知城に近い方では、植木の松とか庭石を売りゆう。私が子どもの頃はニワトリまで売りよった。しかし、日曜市に来た人が、「お、こりゃえい石があるよ!ひっとつ買うて行こうか ♪ 」とか、「ちょっと綺麗なニワトリがおったき買うて来たで~」なんてことになるがやろうか?一体誰が買うのか、あれは日曜市七不思議(?)のうちの一つである。  ちなみに絵本『にちよういち』では、あつこが迷子になるのだが。「 … 麦わらかぶった、 6 つばあの女の子を見ざったろうか?」「よう分からんけんど、あっちの方へ行きよったにかあらん」このやり取り、私の一番好きな場面であることを付け足しておく。

エピソード76:台風

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  今でこそ、来たるべき南海トラフ大地震への対策が大いに叫ばれているが、昭和時代は地震より台風の方が身近な危険だった。子どもの頃に読んだ防災の冊子は、高知県に大型台風が襲来して甚大な被害をもたらすという設定だった。台風銀座と呼ばれたのはもはや過去のことなのか、近年高知県に来る台風は、以前のものに比べるとそよ風程度でしかない。  小学生の時、台風で臨時休校になるのが楽しみだった。不謹慎だろうが、私だけではなく当時の小学生はほとんどそう思っていたはずだ。ドーンと身体中に当たる湿気を帯びた風の塊を感じながらの下校は、なんだかワクワクした。暗いとも明るいともつかぬ妙な空の色を眺めてはドキドキしたものだ。家では昼間から雨戸を閉め、部屋の中は薄暗い。つけっぱなしのテレビは、ヘルメットを被って声を張り上げるアナウンサーの台風中継ばかりやっている。  雨風が強くなってくると、家全体がきしむ。ドンと突き上げるような大風で家が揺れるたび、歓声をあげた。滝のような豪雨が屋根を叩きつける頃には、「ちょっと様子を見に行ってくる」というお決まりのフレーズが出てくる。出て行ったきり帰って来ない人もいるので、くれぐれも様子は見に行かないように!  夜になると、「 F 入川の堤防が決壊するかもしれん」「そろそろ避難の準備を」などという大人達の会話を聞き、興奮度は MAX に。そうこうしているうちに停電が起きたりして、懐中電灯を持ってお風呂に入ったこともあった。ちなみに小学 2 年の時に用意していた避難バッグの中身は、お気に入りのマンガとお菓子。 … これでは何の役にも立たないではないか。  台風が過ぎ去った翌朝。吹き返しの風はまだ強いけれど、空は何事も無かったかのような見事な青空だ。道路のあちこちに木の枝や葉っぱが散らばっている。中には何十メートルも飛ばされたトタンなんかもあって、風の強さを物語っている。高知県に大きな台風が来なくなって久しい。けれど子どもの頃体験した災害の記憶は、身体の奥底にしっかりと刻まれている。

エピソード75:懐かCM

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  しばらくぶりの八彩帖である。忘れていたわけでもサボっていたわけでもない。ネタ探しと称して、勝手に夏休みを取ってただけだ。読者のみなさん(いるのかね?)、引き続きよろしくお願いしますよ。  さて、空前の昭和レトロブームだ。花柄でおなじみの「アデリアレトロ」が火付け役かな?当時モノの瓶、婆さんの家で現役だぞ。イオンでは「懐かしの昭和レトロ展」までやっていた。こんなにも昭和が流行るなんて。昭和レトロが好きなワタクシもインド人もビックリである。ハヤシもあるでよう ♪  振り返ってみると、昭和時代はテレビの時代でもあった。文化の中心はテレビだったと言っても過言ではない。当然、テレビ CM も印象的なものが多かった。今の薄っぺらなどうでもいい CM なんかとは比べ物にならない。ここでワタシ的高知のご当地 CM を思い出してみよう。  「いね!」「お~の、うれしいちや ♪ 」「う、うれしいつか ⁉︎ 」←このフレーズでピンと来るあなたは、れっきとした昭和の高知人である。 … とはいえ、私もあんまり覚えてないんだけれど。確か「泰作さん」の CM やったでねぇ?え、泰作さんを知らんつか ⁉︎ この CM は、なぜか筏羊羹の CM とセットになって記憶されている。 ♪ いーかだよーかんな~かむーらめ~ぶつ ♪ というテーマソング、高知人やったら歌えるでね?  あとは、かつて北本町にあったオーディオショップ、シキデンの CM 。あれが子どもの頃、無性に怖かった。日曜日の夕方、「太陽にほえろ!」かなんかを見ているときによく流れていた気がする。肝心の殉職シーンなどをサッパリ覚えていないのに、流れていたシキデンの CM を覚えているなんて。だって「シキデン」という意味不明な文字列に、子どもには無縁の「オーディオ」という単語。コーポレートカラー(?)のオレンジ色もただならぬ雰囲気を醸し出していたし、極め付けはテーマソングである「怪僧ラスプーチン」の不気味さよ ‼︎ いやにそこだけステレオの効いた BGM で、これは子ども時代の軽いトラウマとなっている。おそらく今見たらなんてことのない CM なんだと思うけどね。もう CM どころかお店も存在しないのが残念である。  こうしてみると、覚えているのは子どもの頃に見た CM がほとんどだ。もうすぐ秋本番、少し感傷に浸りつつ … 。