エピソード79:秋の味覚

 台風14号が過ぎ、急に涼しくなった。朝は肌寒いくらいである。あんなに暑い暑いと言っていたのが嘘みたいだ。台風といえば。今回も農産物などに被害が出たようだ。収穫間近の梨やブドウが落下し、損害を受けている。さて、台風が収まるとすぐ産直市に走ったのが、我が母。傷ものの新高梨が、信じられないようなお値段で売っているのだ。傷の部分はカットされているが、どうせ切って食べるもの。味はれっきとした新高梨である。わずか数百円でレジ袋2つ抱えてきた母、大手柄であるぞ。時々「イモ」という、なんかモクモクした舌触りの梨も混ざっているが、さほど気にはならない。なんせあの高級な新高梨を腹いっぱい食べられるのだから。これがほんとのSDGs である(適当)。

 ところで。私たちの世代より上の完全な昭和人は、自然のものをそのまま口にするのに全く抵抗がないようだ。というのも、昭和中期生まれの我が両親。出かける先の至る所で、ミカンだの柿だのが木になっていたら、もぎ取って口に入れるのである。大抵「こりゃあ酸い」「おおの渋い」という感想になるのだが(そりゃそうだ)。私らなんか、外にあるものは「危険」「不衛生」なんて教えられてるもんだから、とてもそんな真似は出来ない。ありゃ絶対「グリコ・森永事件」の影響だと思う。平成後期生まれ&東京育ちの姪など、水道の蛇口から出る水さえ怪しんで飲まない。まあ、それもどうかと思うんだけどね。

 そうそう、前回お墓参りのことを書いたけれども。ちょうどお墓の横に栗の木があって、運が良ければ栗拾いが楽しめた。まだ緑がかっている栗のイガを見つけては、うまく足で踏んで栗の実を取り出した。今の人は栗拾いなんかしたことあるのかね?靴でイガを外す術とか、絶対知らないだろう。わずかしか取れないけれど、持って帰って茹で、包丁で半分に割ったのをスプーンでほじくりながら食べるあの味は格別だった。私は思う。都会で手をかけて作られた高価な栗のスイーツより、山から取ってきて茹でただけの栗が断然美味いと。



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