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エピソード97:宿毛市観光編

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  思い立ったら旅に出るのが我が家族。今回は宿毛市へ。目的は、高知新聞に出ていた「高橋金星堂」の大判焼きと、「キリンハウス」のハンバーガー。おまけに楠山の梅林&四万十川沿いの菜の花見物。いざ、食い倒れの旅に出発!  まあけんど高速ができたおかげで、宿毛へ行くのも速くなった。私が子供の頃は、土佐清水まで5時間くらいかかったぞ。子ども心に黒潮町(昔の佐賀・大方)辺りで、「ここは外国か?」なんて思ったりしたもんだ。土佐と幡多という地域性を感じてたのかね?  さて、目的地の宿毛へ到着。ナビに頼ってお店を探す。宿毛市、昭和感たっぷりのレトロな街並みである。4ケタだけの電話番号表示、アーケードの中のパチンコ屋、「純喫茶リスボン」に「スナックまみ」の看板。その下には、「スナックあかり」「スナック愛」とある。これで「スナックしのぶ」や「スナックあけみ」があれば完璧だ(意味不明)。ちなみに我が父は、「スナックまみ」に入りたいと申しておった。っていうか、そもそも「スナック」とは何ぞや?  「高橋金星堂」では80歳オーバーのハイカラご婦人が、せっせと大判焼きを焼いていた。聞くと、軽い気持ちで新聞の取材を受けたところ、立派な記事になっていて腰を抜かしたとのこと。新聞を見たお客さんが詰めかけ、1時間で売り切れる日もあったそうな。この日も早速行列が出来ていた。焼きたての大判焼きの美味いこと!あんこあっさり、生地はもっちりである。  「キリンハウス」は、うっかり見過ごしてしまいそうなボロい(もとい古い)アーケードの一角にある。まあひと言で言えば「すごい(←褒め言葉)」。若いお客さんが多かった。お店はおじいさん寄りのおじさんと、おばあさん2人で切り盛りしている。完全に昭和から時が止まっている。私の注文したチーズクウォーターパウンダー、390万円なり。デカいぞ。注文を受けてから焼き始めるので時間はかかるが、満足度はそれに勝る。「サンキューベリマッチ」とおじさん。某マク◯ナルドなんて比較にならないお値段とボリュームである。  こうして楽しい宿毛市への旅は終わった。ディープな高知を楽しみたい人には、断然オススメである。

エピソード96:アウトドアあれこれ

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   真夏と真冬を除いて、我が家はしょっちゅうアウトドアに行く。父の車が軽四のキャンピングカーなのもあり、どこでもキャンプできるのだ。当然キャンプ用品もすぐに準備でき、「これからキャンプに行くぞ」となっても、各自 1 時間もあれば出かけられる。私だって白豚みたいな見た目だけど、「動けるデブ」を自称しているから、アウトドア経験はそれなりにあるつもりだ。  で。以前無職になった時に、某アウトドアショップのパートに応募したことがある。言っておくが、家族全員そこの商品には何十年もお世話になっている。募集要項には、特にアウトドア経験必須などとも書いておらず、軽い気持ちで面接に臨んだ。  ところがである。面接が終わったと思いきや、いきなり筆記試験が始まった。「高知県内の山の名前を5個以上あげよ」とか、「◯◯というギアについて説明しなさい」とか。そんなこと寝耳に水である。山の名前はともかく(自分がこれまで登って来た山をなんとか書いた)、ギアの説明なんて出来んよ。そんなゴリゴリのアウトドア屋をパートに求めていたのか!?いかにもアウトドアの対極にいるような白豚の中年女という見た目だけで、かなり損しているというのに。当然、そこは不採用だった。チキショー、もうここの製品は買ってやらんぞ(と言いつつ、ショップ会員になってるんだけど)。  その後もそこの店には行く機会があり、当時の面接官を見かける度に気まずくなる。アタシが白豚アウトドア屋ということを知らんかったんだろう。学生の頃はS学館のアウトドア雑誌「B-P◯L」を愛読していたというのに。子どもの頃の夢は探検家だったんだぞ!テントの撤収くらい1人でできるわ!…とまあ、いくら心の中で叫んだって、むなしさは変わらない。せめてキャンプの時に、とっときのファイヤースターターで火をおこして、燃える炎を見ながら苛立ちを静めよう。ちなみに今年の目標は、「焚き火を操ること」である。早く春よ来い♪

エピソード95:救急車

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  この気候のせいか、最近救急車が多いような気がする。高知市東部のT須地区、そのさらに東にある「S木東」という地区が、私の住むトコロ。昔はよく子どもたちが、道路でボール遊びなどをしていた。それが今やどうだ。たまにお年寄りが手押し車をついて歩いているくらいで、道を歩く人はほとんどいない。道路で遊んでいる子どもの姿だって、とんと見かけない。この町内、ホントに人が住んでるのかとさえ思う。だが、このゴーストタウンのような町に人を集める秘技(?)がある。それが「救急車」だ。  遠くから救急車のサイレンが近づいて来る。サイレンが段々大きくなり、止まった。すると、どこからかギャラリーがわらわらとわいてくる。大半が高齢の女性で、なぜか男性陣は少ない。この前の騒ぎもそうだった。他所の家の庭に入ってまで見物しているおばさまもいる。おしゃべり好きのT野さんなど、帰宅途中に偶然見かけた救急車をわざわざ引き返してまで見に来ている。我が父は入浴中だったが、裸で出て行こうかと思ったそうだ。その野次馬根性はどこから来るのかと問うと、「好奇心」とのこと。…父は長生きすると思う。ちなみにその後、T野さんから一部始終を聞いたのは、他でもない父だ。  それこそ救急車といえば、以前家のすぐ南の通りに停まったことがあった。想像に憶測を重ねた結果、「あそこの◯◯さんが亡くなった」という結論に至った。もちろん父は「様子を見に行く」と散歩のフリをして出て行ったし、私もその家の前を通る時は、わざとクルマのスピードを落として覗き込んだ。あの庭のクルマは帰省した息子さんのに違いない。そこまで確信していたある日のこと。なんと◯◯さんが、庭にあったクルマに乗り出かけようとしているではないか!どうやら私たちの推理(?)は間違っていたらしく、通りを一本勘違いしていたらしい。これもまた、後に聞いたT野さん情報。  なんだかうかつに救急車を呼べない町内である。せいぜい健康には気を使って、事故や怪我に巻き込まれないよう気をつけねば。そう固く誓った年の始めであった。  

エピソード94:2023年

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  新しい年になった。2023年である。子どもの頃に想像していた西暦2020年代といえば、車は空を飛び、ボタンひとつで食事が出て来て、人々はピタピタのスーツを着ていた。父親世代にとっては「鉄腕アトムの時代」である。しかしあのアトム、実は黒電話を使っているのだ。結構アナログだぞ。まあ今だに車は地上を走っているし、食事は一から作らねばならぬ。道行く人は誰もピタピタのスーツなんて着ていない。なんか想像していた未来と違うのが残念(?)だ。    ところで、我が家にはK知新聞社発行の「1989 FLYING TOSA 平成元年の土佐を飛ぶ 高知県航空写真集」という、立派な本がある。1989年。今から30年以上も昔の写真集だ。だが、これが実に面白く興味深い内容なのである。ずっと持っていると筋肉痛になりそうな巨大な本(新聞紙サイズ)で、細かな所もよく見える。この30年間の移り変わりが手に取るように分かるのだ。    まず驚かされるのは、潮見台ニュータウンや十市パークタウンに、住宅が全くないこと。土がむき出しである。あれ、そんなに最近の住宅地だったのか!?それから街中の様子。なんと中央公園が造成中ではないか!生まれる前からあそこは公園だと思っていた。さらに目を凝らしてよく見ると、今はもう存在しない建物や会社がそこここに。「ニチイ」「高知西部」「山一証券」…。極めつけは、「グリーンピア土佐横浪」。“国民休暇県構想の中核として、総合リゾート・レクリエーション施設としての期待を集める大規模保養地”との注釈が。…なんかもう泣けてくるね。  他にも卸団地が田んぼばかりだったり、昔の高知駅がそのまんま見えたり。当然駅の裏はなんだかゴチャゴチャした荒れ地のある住宅地が広がっている。私の中でボロい高知駅の記憶はもうほとんどないなぁ。うっすら高架橋から、汽車を見るのが面白かった思い出があるくらい。そういえば昔、とでんの高知駅前の電停は、くねっと曲がった所にありましたよね?あそこにあったヤシの木はどこに行ったんだろ。30年後の高知は、はたしてどんな風景を見せてくれるのか。未来に希望を持って、本年も八彩帖をどうぞよろしくお願いします!

エピソード93:大雪騒動

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  前回の八彩帖は雪がテーマだったが、まるで予言していたかのように高知に雪が降った。それも積雪14cm、観測史上最高である。12月23日の朝。カーテンを開けて広がっている光景に目を疑った。「何じゃこりゃ!?」思わず三度見したが、ここは南国土佐。なのに辺り一面真っ白。私の頭の中も真っ白になった。早速SNSをチェックする。うーむ、高知市から西方面で大変なことになっているようだ。    雪国の人なら積もった雪を見た途端、雪かきの道具を取りに行くだろう。しかしここはめったに雪の降らない高知。人々が取りに行くのはスマホやカメラである。なんだか雪国の人にツッコミを受けそうだ。ってか、スタッドレスなんて履いてないクルマが大半だろうに通勤しようとするなんて、地獄へまっしぐらじゃなかろうか?雪の中を自転車で行く猛者もいる。だからやめなさいってば(元東北に住んでいた者より)。    不要不急の外出は控えろというおふれが出ていたが、私たち家族は「溶けないうちに雪の様子を見に行く」という、「要&急」の用事のため(?)、出かけることにした。ちなみに父のクルマはスタッドレスタイヤである。こんなこともあろうかと、 12 月が来たら毎年履き替えているのだ。    まーしかし、雪が凍ってシャーベットになっているため、クルマはノロノロ運転。高知市内でも西の方は雪が多いようだ。結局、朝倉〜伊野の咥内坂付近と西バイパスの下り口、国道の佐川方面が渋滞していたため、やむなく引き返した。しかし窓からの眺めは壮観だった。仁淀川の河川敷が銀世界なんて!一生に一度しか見られないんじゃないか。    ところで、雪かき経験の無い高知県人。観察した結果、皆色々工夫してやっている。まずスコップ。そしてホウキやちり取りといった掃除用品。特に竹ボウキが良さそうだ。そしてバケツ。なんか謎の園芸用品や鍬・鋤の類で雪をかいてる人もいた。もはや何でもありである。そうそう、雪かきの時は下ばかり見てるけど、屋根からの落雪には注意ですよ。それからツララの下は決して歩いてはいけません。以上、大雪観察報告でした ♪

エピソード92:雪

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   南国土佐に住む高知県人にとって「雪が降る」という現象は、センセーショナルな大スペクタクルである。どんよりとした空からチラホラとホコリのような雪が降ってきただけで、「いや、雪や!」「早う見て見て!」などと口々に騒ぎ立て、スマホをかざして SNS にアップする。大昔私が高校生だった時、 2cm の積雪を記録したことがあった。当時はあちこちでスリップ事故が多発し(父も菓子折り持って行ったクチ)、学校は休校になった。雪耐性が無いというのは、いよいよ難儀なことである。    なぜ私がそんな上から目線なのかというと。大学時代を東北の仙台で過ごしたからだ。仙台は東北でも温暖で雪が少ない。せいぜい降って高知の山間部くらいだろう。しかし、初めて東北という未知の世界へ行く 18 歳の私には、何もかもが謎過ぎた。「やはり頬っぺた真っ赤な人が、『〜だべさ』とか言ってるんだろうか」なんて本気で思ってた(注:そんな人いません)。冬がどれほど寒いのかも分からない。とにかく厚着をして受験した気がする。    晴れて大学生になった私。女子寮に入ってみてまず目についたのが、部屋の壁に付けられた配管むき出しの装置である。「何やろコレ?」高知ではまず見たことがない。そりゃそうだ。これは「スチーム暖房」という、超強力な暖房なのだから。起動する時に「カンカンカンカン」と大音響がし、配管の上に干した洗濯物は瞬く間にパリパリに乾燥するという、すごい暖房である。ちなみに大学も寮もスチーム暖房はあったけど、冷房や扇風機は無かった。それでも快適だったから(学校は山の上だったし)、やはり気候は違うもんですね。    周りは東北人ばかりだから、雪なんて見た途端に皆が皆「嫌(や)んだ〜雪(ゆぎ)降ってる」という反応。やはり雪国は「雪=迷惑」という感覚なんだろう。雪を見て喜んでるのは私だけだった。ちなみに雪の日に傘をさしてると、雪が積もって段々重くなってくるのだ。本当の(?)雪国から来た人は、傘をささない人が多かった。寮の食堂で宴会してる時、窓を開けて積もった雪の中から缶チューハイ出してたのも懐かしい。今年の冬は雪が降るかな?

エピソード91:パワースポット

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   先日のこと。高知市内の山中にある「ゴトゴト石」が、何者かによって工具で固定されたという衝撃的なニュースが駆け巡った。ゴトゴト石といえば落ちそうで落ちない、受験にご利益のあるありがたいパワースポットである。私も現地に行ったことがあり、石を揺すって来たことがある。それが悪さをされるなんて。まことにけしからん、犯人は早く出て来なさい!    パワースポットといえば。各人それぞれ自分の中のお気に入りがあると思うが、私の中のそれは「五台山」と「早明浦ダム」である。家の窓からもよく見える五台山は、常に私の心のよりどころとなっている。取り壊された古い展望台にも、思い出が沢山ある。かつてそこにあった喫茶店で食べたホットケーキが、実に美味しかったこと。コインを入れて覗く望遠鏡は、入れなくても良く見えたこと。古き良き昭和時代の話だ。  竹林寺にある一言地蔵にも、何回お願い事をしたか分からない(効き目があるのか!?)。文殊菩薩が御本尊なので、受験の際には念入りに拝んだ。また小学生の時には、そこの五重の塔を写生した記憶がある。緑豊かな時も、紅葉の時も、竹林寺の苔庭はとても趣がある。いつ行っても清々しい気持ちになる。    あとは牧野さん(牧野富太郎博士)推しの私にとって聖地である、牧野植物園。以前の温室も懐かしいし、今の立派な植物園も誇らしい。リニューアルされてからは、年に何回も足を運んでいる。行くたびに何かしらのグッズを買ってしまうのがやめられぬ。それにしても牧野さんは魅力あふれる偉人だ。来年の朝ドラが待ち遠しい。    そして早明浦ダム。クルマで走っていると突如現れる、壮大なコンクリートの建造物。その見事な佇まいには感動すら覚える。ダムの上まで行くと「四国のいのち」と刻まれた石碑があるのだが、訪れるたびに記念撮影をするのは恒例行事だ。おかげで「石碑と私」という同じ組み合わせで、数十年分の写真がある。石碑は変わらないが、私は幼児から子ども、大人になり、今や立派な中年女だ。これはライフワークとして続けるつもりである。心のオアシスであるパワースポット。来年に向けてのパワーを貰うぞ!