エピソード100:四国百山

 

 このエッセイ八彩帖、今号で記念すべき100号目となった。これもひとえに読者の皆さまの温かい励ましのおかげである(本当に読者がいるのかどうか不明)。ここまで続けてこられたのは、私が文章を書くという行為で自分の中のモヤモヤを具現化し、目に見える形で残すという楽しみを見つけられたからだ。楽しくなければ続かない。私にとっても良いストレス発散になっているのである。

 さて、「100」という数字はキリもよく、なんだかおめでたい数字である。かつてK知新聞社が、「四国百山」という本を出版した。当時はまだ登山だのアウトドアだのが全くブームではなく、むしろマイナーなレジャーだった。しかしノリに乗りやすい&ミーハーな我が家族、なんと四国百山を全制覇しようと企てたのである。

 当時は子ども用の登山用品やアウトドアグッズなどほぼ皆無。小学生だった私たち、今見れば目を剥くような格好で山登りをしている。トレーナー(スウェットではない)の上下にズック靴といういでたち、まるで通学するのと同じ格好ではないか。それでも体力があったおかげか、さほど苦労した記憶が無い。数メートルもの巨木に駆け登り、ぶら下がった木の蔓でターザンごっこ。極め付けは石鎚山の鎖場を、半袖Tシャツにキュロットとという完全な普段着で登っていることだ。

 四国百山の中で一番印象深いのは、「三嶺」。高知では「さんれい」と読み、徳島では「みうね」と呼ぶ。しかしここはキツかった。まだ週休二日ではなかった平成初期、日曜日の朝早くから弁当を持って出発。現香美市、旧物部村の奥まで長距離ドライブをしたかと思うと、まず手前にある白髪山への登山が待っている。ここは笹原が綺麗で1時間もあれば登れる。問題はその先に遠くそびえる三嶺の山並みだ。行けども行けども辿り着かぬ。「行動食」と勝手に呼んでいたただのチョコレートを口に入れ、身体をごまかす。弟はオモチャ代わりのトランシーバーを片手に疲れ知らずだ(ちなみに弟は高校で登山部だった)。

 やっと山頂まで登り切ったあとのことは何ひとつ覚えていない。ただ、次の日の学校が異様にしんどかったのだけは覚えている。結局四国百山のうち、登ったのは1/4にも満たない。いつの日か全制覇できる日が来るのだろうか?



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