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エピソード104:取材

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   変なオーラを放っているせいか(?)、やたらにテレビや新聞の取材を受ける。 1 番最初はもう 10 年以上前のこと、高知城の下で日本鶏の展示会を見学している時だった。その当時から私は家でプチコッコというペット用のニワトリを飼っていたため、日本鶏にも興味があったのである。マイクを向けられ何をしゃべったのかまるで記憶に無いけれど、それをきっかけに私の取材人生が始まった。  それこそプチコッコが鳥インフルエンザの影響で下火になった時、地元紙のK知新聞から取材を頼まれた。大学を精神疾患で中退し、ひきこもりをしていた私の慰めとして飼ったプチコッコの魅力を大いに語ったおかげか、新聞の片面を占める大きな記事となった。当然私の写真付き。なんだか有名人になった気分である。  あとは天下のN◯Kから、それこそプチコッコ関連の取材を申し込まれた。どこのつてから私に取材が来るのやら、さっぱり分からぬ。ちょいヤラセ気味の撮影が終わり、結構な長尺で放送された。その時テレビに映ったプチコッコの「デイジー嬢」は、今も健在である。その放送、初めは中四国地域だけだったのが、好評だったため全国放映されることとなった。あれよあれよと私は全国デビューしてしまった。ただ、道端で声をかけられることもサインを求められることもないので、みんな意外とテレビなんか見ていないのかもしれぬ。  K知新聞といえば「声ひろば」という読者投書欄があるのだが、実は私、そこの常連である。気軽な気持ちで投稿したところすぐに採用されたため、気を良くして書き続けているのだ。その関係で、新聞社からも取材の依頼が来た。「私とK知新聞」というコーナーに載せたいとのこと。取材当日、新聞記者さんの質問に受け答えし、デイジー嬢を肩に乗せ新聞を広げている写真まで撮った。実際の記事はかなりのアップ、しかもカラーで出ており、ばっちりデイジー嬢のすっとぼけた顔が写っていた。  最近は取材慣れして、「ああまたか」という感じである。この前土佐市のハスを見に行った時も、ケーブルテレビの取材を受けたぞ。どんな放送になるのか、今から楽しみである。

エピソード103:夢あれこれ

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  実に長いスランプであった。たぶん読者の皆さんは、「八彩帖は立ち消えになった」と思っていることだろう。違うのだ。全く案やらネタやらが思い浮かばなくなり、放置(!)していただけだ。こりゃS道会館T田道場(なぜ伏せ字?)で、気合いを入れ直してもらわんと。…いや、今のワタシなら門前払いを受けそうだ。むぅ、修行が足りん。  さて、今回タイトルを「夢あれこれ」としたのは意味がある。夢は夢でも、寝ている時に見る夢である。毎回同じような夢を決まって見るのだ。これがしんどくてたまらない。誰かに聞いて欲しかっただけのことである。スランプ明けなのでお許しを。  私は大学を卒業していない。3年生で病気になり、辞めてしまった。その無念さが今だに大学の頃の夢を見せるのだ。パターン①:いくら探しても講義の教室が見つからない。パターン②:大学へ行こうにもたどり着けない。パターン③:寮に帰っても自分の部屋が無い。パターン④:サークル(民俗芸能のサークルだった)の振り付けが変わってしまい、ついていけない。内容は若干変われど、だいたいこの4パターンである。  最近はそれに加え、再度訪れたらすっかり街並みが変わってしまい、迷子になるというパターンまで増えて来た。よっぽど大学関係がトラウマらしい。これはやはり志半ばで中退してしまったということが大いに関係するようだ。いつも目が覚めたら冷や汗びっしょりである。どうしたらこんな夢を見なくなるのか、誰に相談したら良いのかすら分からない。  そこで思った。別の大学、例えば通信制でもいいから卒業すれば良いのでは?一応学士の資格は取れるわけだし。…とはいえ、私は過去に通信制大学で挫折した経験がある。この時も体調不良で辞めたんだった。うーん、まずは体調を安定させることが先か?  変な悪夢を見ないようにするには、自分の体調を整えて、元気になったらまた通信制の大学に挑戦すれば良い。よし、新たな「夢」が出来たぞ!夢あれこれ…充実した生活を送るために、心身ともに健康になろう♪

エピソード102:土佐清水へ小旅行

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  土日を利用して、友人(悪友?)「D」と幡多方面へ旅行して来た。アウトドア大好き&じっとしていられない私と違い、Dは高知市以外知らないという、全くもって無知無頓着頓珍漢である。四万十市に宿を取ったが、方向音痴と道知らずの2人が無事に行き着くのだろうか?ま、とにかく出かけることにした。ちなみにDは運転免許も持っておらず、全てワタシの運転である。ああ難儀しい。  出発日はあいにくの雨。私は西の方の海が好きなのだが、真っ白に荒れており魅力が台無しだ。幼い時1年間土佐清水に住んでいたこともあって、なんとなく幡多方面は郷愁を誘う。雨の中のドライブだったが、なんとか土佐清水まで着いた。子どもの頃遊んだ鹿島神社に参拝し、昔通っていた保育園(今はデイサービスの施設になっている)の横を通る。土佐清水はあの頃とほとんど変わっていない(むしろ寂れた)。  土佐清水へ来た目的はSATOUMIである。竜串、この景色が大好きだ。足摺海底館のレトロフューチャーな姿は、心の奥底からときめきを覚える。Tシャツ買っとけば良かったかなー。SATOUMIは見応えたっぷり。生き物大好きなワタクシ。お魚ちゃん達可愛いぞ♡と、Dが突然「昔、家にタツノオトシゴかなんかを干したヤツがあった」などと言い出した。なんだソレおつまみか?そこで、はたと私も思い出した。子どもの頃、フグやハリセンボンを干した飾り物が無性に欲しかったことを。  SATOUMIを出て、今度は貝のミュージアムへ。貝殻も好きだワ〜♡建物もオシャレだしね。大満足してミュージアムを出ると、お土産物屋のおばちゃんから激しい呼び込みを受けた。興味本位で店に入ると、なんとあのハリセンボンの飾り物が売っているではないか!しかもたったの400円!小銭で買えるなら買うしかないでしょ♪こうして中年女は、念願だったハリセンボンの飾り物を手にしたのである(ってか我ながらアホだと思う)。  悪友 D には私のイビキがうるさくて全く眠れなかったとぼやかれたが、私は安らかに眠れた。可愛いハリセンボンちゃんが手に入って大満足♡こうして私の土佐清水小旅行は無事に終わった。チャンチャン ♪

エピソード101:仙台にて

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  新年度が始まった。新たな気持ちで生活がスタートする。新入学、就職、環境ががらりと変わる人もいるだろう。今回は少し私の思い出話にお付き合いいただきたい。  かれこれ20ウン年前、私は大学入学のため高知から仙台市へと旅立った。大学の決め手は専攻に「こども文化」というひらがなが含まれていたこと。ただこれだけで進学先を決めるなんて、制服が可愛いからと高校を決める中学生と変わらん。ともかく無事に合格を果たし、初めての東北暮らしとなった。  まず体感したのは人の多さである。仙台市は政令指定都市で、人口は100万人を超える。通勤・通学する人を含めた昼間人口はより多く、行き交う人の群れに巻き込まれそうになった。スーツの上にコートを羽織ったサラリーマンの群れも初めて見た。地下鉄には恐怖さえ感じ、初めての自動改札には戸惑った。あとは当時流行っていたコギャルがいたことにはたまげた。駅の前の地べたに座り、金髪ガングロミニスカルーズで化粧しまくっていた。実在するんだと感動すら覚えたもんだ。  学校は寮生活だったので、暮らすには苦労しなかった。みんなほぼ東北地方の出身者である。初めて見る(珍獣か?)東北の彼女達。皆肌色が紙よりも白く、ワタシなんか原住民みたいだった。しかも誰も「ズーズー弁」なんて喋っておらず、綺麗な標準語。仕方なく(?)私も標準語を真似して話すようにした。せっかく土佐弁で喋っちゃる!なんて意気込んでいたのに、急に恥ずかしくなったのだ。東北の人はみんなおっとりして気立が良く、情が深かった。  寮では新入生歓迎会が盛大に開かれ、1年生は「寮体操」の披露、上級生は数々の出し物で盛り上がった。実はこの新歓パーティー、上級生からのドッキリが至る所に仕掛けられているのだ。以下ネタバレ→①門限・点呼などは全てウソで実際には無い・②「寮体操」もウソ八百で存在しない・③極め付けは4年生が新入生に紛れ込んでいるという大ドッキリ。新入生代表として挨拶する中、「ゼミのテーマが〜」「卒論が〜」という言葉を散りばめ暴露、というトンデモなものだった。  今思えば古き良き時代だったのかもしれない。あれから仙台は震災に遭い、街は大きく変わった。あれ以来会っていない寮生たちは、元気にしているだろうか。

エピソード100:四国百山

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   このエッセイ八彩帖、今号で記念すべき 100 号目となった。これもひとえに読者の皆さまの温かい励ましのおかげである(本当に読者がいるのかどうか不明)。ここまで続けてこられたのは、私が文章を書くという行為で自分の中のモヤモヤを具現化し、目に見える形で残すという楽しみを見つけられたからだ。楽しくなければ続かない。私にとっても良いストレス発散になっているのである。  さて、「 100 」という数字はキリもよく、なんだかおめでたい数字である。かつてK知新聞社が、「四国百山」という本を出版した。当時はまだ登山だのアウトドアだのが全くブームではなく、むしろマイナーなレジャーだった。しかしノリに乗りやすい&ミーハーな我が家族、なんと四国百山を全制覇しようと企てたのである。  当時は子ども用の登山用品やアウトドアグッズなどほぼ皆無。小学生だった私たち、今見れば目を剥くような格好で山登りをしている。トレーナー(スウェットではない)の上下にズック靴といういでたち、まるで通学するのと同じ格好ではないか。それでも体力があったおかげか、さほど苦労した記憶が無い。数メートルもの巨木に駆け登り、ぶら下がった木の蔓でターザンごっこ。極め付けは石鎚山の鎖場を、半袖 T シャツにキュロットとという完全な普段着で登っていることだ。  四国百山の中で一番印象深いのは、「三嶺」。高知では「さんれい」と読み、徳島では「みうね」と呼ぶ。しかしここはキツかった。まだ週休二日ではなかった平成初期、日曜日の朝早くから弁当を持って出発。現香美市、旧物部村の奥まで長距離ドライブをしたかと思うと、まず手前にある白髪山への登山が待っている。ここは笹原が綺麗で 1 時間もあれば登れる。問題はその先に遠くそびえる三嶺の山並みだ。行けども行けども辿り着かぬ。「行動食」と勝手に呼んでいたただのチョコレートを口に入れ、身体をごまかす。弟はオモチャ代わりのトランシーバーを片手に疲れ知らずだ(ちなみに弟は高校で登山部だった)。  やっと山頂まで登り切ったあとのことは何ひとつ覚えていない。ただ、次の日の学校が異様にしんどかったのだけは覚えている。結局四国百山のうち、登ったのは 1/4 にも満たない。いつの日か全制覇できる日が来るのだろうか?

エピソード99:県営渡船と御畳瀬の町

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  高知市には、浦戸から御畳瀬(みませ)を結ぶ珍しい海の上の県道がある。県営渡船、通称「渡し」。昔は車なども乗せていたようだが、今は人と自転車やバイクだけ。それでも通学やお遍路さんなどには欠かせない、重要な交通ルートである。もちろん県道だから無料。タダでクルーズ気分を楽しめるので、観光にもバッチリだ。  物好きな私たち家族も、観光目的で渡船に乗った。あれはもう 10 年以上も前のことだったか。細い浦戸の路地を抜けて、船着場へ。渡船と言っても立派な船だ、結構揺れる。乗るだけでワクワクするのは船の良いところで、遠く見える浦戸大橋や御畳瀬の街並みに歓声をあげる私。およそ 10 分弱の船旅は終わり、御畳瀬へ。この御畳瀬、なかなかに魅力的な町なのである。私のような昭和レトロ好きは狂喜乱舞しそうな建物が、そこここに。ひとつ路地を入ると、まるでタイムスリップしたかのようだ。昭和から時が止まったままの店構え(今も開いてるのか?)、木造の家々を興味津々で眺めてみる。  港の方へ出てみると、干物が太陽の光をさんさんと浴びて干されている。沖ウルメにメヒカリ、御畳瀬名物ですね。干物を物色していると、地元のおんちゃんに声をかけられた。「これいるかよ?」と取り出したのは、何と人の顔ほどもある大きなスルメ!しかも 2 枚も!これも私が美人だからですね♡(←絶対違う)。気前の良いおんちゃんのおかげで、気分上々↑↑その時の写真には、帰りの船の上でスルメを掲げてニタニタ笑う私の姿が写っている。これが本当の干物女だ()。  御畳瀬といえば。今はもう廃校となった旧御畳瀬小学校にて、どういういきさつだったか失念したが、なんとフォークの神様であるあの岡林信康のコンサートが開かれることになった。もちろん物好きの我が家族もかけつけた。別にファンでも何でもなく、知っているのは「山谷ブルース」と「チューリップのアップリケ」くらい。それが実際コンサートに行くと、意外に盛り上がった。最後はみんな総立ちでノリノリだったぞ。岡林信康、愉快なおじさんでした ♪ そんな思い出もある、御畳瀬の町のお話し。

エピソード98:おきゃくと皿鉢

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   土佐路の春といえば、コレ、「土佐の大おきゃく」。街をあげてみんなで酔っ払うというトンデモイベントである。デハラユキノリ氏の「べろべろの神様(ところで神様の股間に付いている丸いモノは何だろう?)」をたてまつり、いざ、おきゃくの始まり始まり〜 ♪… いつぞやのニュースで見たことがあるが、教育熱心なことで有名な某県( N 野県だったか?)で、「お城を見ながらクラフトビール試飲会」というイベントが開催されることになった。ところが、どこぞの団体から「文化財でアルコールとはけしからん!」というお叱りが入り、あえなく中止となったらしい。なんたることかである。高知県なんか文化財どころか、真昼間から街のど真ん中のアーケードにこたつを広げて、飲めや歌えやの大騒ぎである。誰も反対する人なんていない。 N 野県人の気が知れぬ。あたしゃ高知県人でつくづく良かった。    おきゃくに彩りを添えるのが、皿鉢。昔はお正月に祖父母が頼んでくれた皿鉢を、親戚一同で囲んだものだ。冠婚葬祭にも必ず皿鉢が出ていた。ただ、コドモの私には食欲をそそられる食べ物が乗っていない。エビフライと唐揚げ、それに激レアアイテムの蟹グラタンをいかに手に入れるかばかりを考えていた。また、皿鉢でしか見たことない「マイゴ」や「チャンバラ」といった貝、あれはどこまで食べるのが正解なのか今だに分からぬ。父親世代は、誰が鯖寿司の頭の部分を取るのかで忖度し合っている。翌日に焼くと美味いのだよね。そうそう、皿鉢と言えばあの蛍光色の、通称「ケミカル羊羹」!毒々しいピンクとグリーンでニッキの風味、しかもなんかゴリゴリした歯触りで、コドモの私には全く美味しいと思えなかった。あれは父親世代には好評らしい。箸休めか何かなのかね?  おきゃくに花を添えるのがよさこいやしばてん音頭。実は小学校の運動会で、しばてん音頭を踊ったことがある。図工の時間に河童の皿と甲羅を作った記憶が。音頭系の踊りは大好きなワタシ、今でも少し踊れるぞ。春らんまん、おきゃくでおおいに盛り上がろう!